曹洞宗_道元の正法眼藏と只管打坐、即心是仏とは

曹洞宗の開祖
道元
ただひたすら坐禅に打ち込む
只管打坐しかんたざ
を実践とした。

この『只管打坐しかんたざ』に
専念することによって
身も心も一切の束縛から
解き放たれる瞬間が
訪れるとされる。

この瞬間を
心身脱落しんしんだつらくといい
悟りの境地とした。

また、
曹洞宗の教えとして
修証義しゅしょうぎ
がある。

そこには
私たちが
かけがえのない人生を
いかに充実させるべきかを
説き示された内容になっている

その内容とは・・・

 開祖

洞山良价(とうざんりょうかい)
(807 - 869)
曹洞宗_道元の正法眼藏と只管打坐、即心是仏とは
弟子である
曹山本寂(840 - 901年)
と二人で祖とし「曹洞宗」とした。

 伝来

道元(どうげん)
(1200~1253)

道元は比叡(ひえい)山で
天台教学を学んだのち、

建仁寺(けんにんじ)の
栄西(えいさい)

の弟子となって禅を修め、

1223年 入そうした。

そこで最初、
”臨済禅(りんざいぜん)
を学んだが満足できず、

1225年
洞山十三世の
如浄(にょじょう)に出会う
曹洞宗_道元の正法眼藏と只管打坐、即心是仏とは
如浄(にょじょう)こそが
求めていた正師であることを知り、
如浄(にょじょう)に師事、
3年間の修行をへてその法を嗣(つ)いだ

1227年
宋(そう)から帰国した道元は、
京都の建仁寺に入り、
普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)を著し、
坐禅こそ安楽の法門である」と説いた。

1234年に山城国深草ふかくさ
興聖寺こうしょうじ(宝林寺(ほうりんじ))を開創。

弁道話(べんどうわ)
(『正法眼蔵しょうぼうげんぞうの序章)を著して、

”達磨禅(だるまぜん)”
真風と”曹洞禅”の真髄を宣揚した。

これがすなわち、日本の”曹洞宗”の始まりである。

興聖寺(こうしょうじ)における道元は
正法眼蔵しょうぼうげんぞう』の執筆を続ける傍ら、
訪れる僧俗を教化した。

1244年
越前に下り、永平寺(えいへいじ)を開山、
ここを曹洞宗の根本道場と定め、
生涯にわたって権勢や名利に近づかず、
正法眼蔵しょうぼうげんぞう』を執筆、
只管打坐しかんたざ」(ひたすら坐禅をすること)を説き続けた

 本尊


釈迦牟尼仏しゃかむにぶつ
曹洞宗_道元の正法眼藏と只管打坐、即心是仏とは
「曹洞宗宗憲しゅうけん」に「本宗は、釈迦牟尼仏を本尊とし・・」と書いてある。

 教え

「ひたすら、坐禅に生き只管打坐しかんたざ
 この坐禅の姿は仏である、

 と信じること即心是仏そくしんぜぶつ
を宗旨としている。


そして、
釈迦牟尼仏の姿と心を
そのまま受け嗣(つ)いだのが曹洞宗である。

『正法眼藏(しょうぼうげんぞう)』

道元が、
1231年から1253年までの間に、
折にふれて和語で記したものを、
道元の没後
弟子たちが整理して、
現在の95巻に編集した仏教書

道元の思索と禅体験によって得られた
宗教的境地と思想が詳細に語られている。
また、坐禅、寺院内での行事、
禅僧の日常生活など実践面についても述べられており、
道元の思想的・宗教的到達点の高さが認識され、
日本最高の哲学書とされている。


「三昧王三昧(ざんまいおうざんまい)」巻
身の結跏趺坐(けっかふざ)すべし、
心の結跏趺坐(けっかふざ)すべし、
身心脱落(しんじんだつらく)
結跏趺坐(けっかふざ)すべし

身も心も自己存在のすべてをあげて、
ただひたすら坐禅をするなら身心脱落し、
一切が仏となり、悟りとなるのです。

これが只管打坐しかんたざです。

坐禅は、
凡夫(ぼんぶ)が成仏(じょうぶつ)するために
おこなうという手段ではありません。

只管打坐しかんたざするとき、そこには
分別に関わらない自己があらわれてきます。

つまり、仏としての自己があらわれるのです。
このことを即心是仏そくしんぜぶつといいます

即心是仏そくしんぜぶつの心とは、
常識的な心や、
霊魂、肉体を離れたところにある
精神や心などではありません。

いわゆる正伝(しょうでん)しきたれる心というは、
一心(いっしん)一切法(いっさいほう)
一切法一心なり


一切法とは、
すべての事象・存在であり、
一心と一切法は別々ではなく1つである。
つまり、
自己と大宇宙が一体であると
覚知することを即心是仏そくしんぜぶつというのです。

只管打坐しかんたざの精神を正しく理解しなければ、
即心是仏そくしんぜぶつを体得することはできません。

只管打坐しかんたざすることが即心是仏そくしんぜぶつ
覚知する唯一の修行であり、
釈尊の悟りに直結するものだといえるからです。

ちなみに曹洞宗の“坐禅”
臨済宗の公案を中心とした
峻烈(しゅんれつ)な坐禅に対し、
“見性禅(けんしょうぜん)”と呼ばれ、
ひたすら坐禅をすることによって
自らの仏性(ぶっしょう)を見出そうとするものである。

『修証義』の教え

修証義しゅしょうぎ」は、
日々のおつとめをはじめとして、
曹洞宗の檀信徒に用いられる修典で、
曹洞宗の教義が示されているものです。

明治時代に、
檀信徒にわかりやすくするために
正法眼蔵しょうぼうげんぞう』95巻の中から大事な章句を
選び出して編集されました。

修証義しゅしょうぎ」の修とは
行のことで、
は「覚証(かくしょう)」、
は「意味」または「意義」をあらわしています。

つまり、人間として生を受けた私たちが、
どのように生きたらいいのか、
さらに、安らぎに至るには
どのように修行するのか、

そして、
仏の教えに生きるという強い信念を
あわせもった生活が真に意義あるものである
ということをあらわしているのです。

第一章「総序(そうじょ)」

私たちが
かけがえのない人生を充実したものと
するためには、どうするべきか。

そして、
人間とは何か、
人間はいかに生きるべきか
ということを懇切(こんせつ)に説き示されています。

第二章「懺悔滅罪(ざんげめつざい)」

仏は、私たちに
広大な慈悲の門を開いてくれています。

この慈悲の門に入るためには、
自分が過去に犯してきた
もろもろの過(あやま)ちを
懺悔(ざんげ)して
反省しなければなりません。

心の奥底から懺悔すれば、
かならず仏の加護があり、
仏と同じような素晴らしい生きる力を得ることができる。

第三章「授戒入位(じゅかいにゅうい)」

懺悔の後に、
今度は三宝さんぼう

三宝(さんぽう)
=最高の人格者、
=すべてに通じる真理、
=法を拠り所とした和平の姿

を頼みとして、その力にすがります。

そして、
三つの正常ないましめ(心がけ)と
十の大事な戒(忌避きひすべきこと)を受けて、
守ることを誓います。

こうして戒を受ければ、
そのまま仏と同じ位に立つことができ、
新しい人生が開けてくるのです。

そして、仏の子として
人々や社会のためになる
生き方ができるようになるのです。

第四章「発願利生(ほつがんりしょう)」

仏の心に目覚めた生き方をするということは、
出家であれ、在家であれ、
苦しいときでも、また楽しいときでも、
自分のことはさておいて
まず周囲の人々の幸せを考えるという
仏心(ぶっしん)を起こすことができるように誓うのです。

その仏心の誓いを実践をするためには、
布施ふせ(物でも心でも惜しみなく見返りを求めず相手に与えること)
愛語あいご(やさしい慈悲の言葉をかけること)
利行りぎょう(相手のためになるような行為をすること)
同事どうじ(自分と相手と仲良く溶けあって生きていくこと)
の4つの法を守らなければなりません。

この道理を深く考えて、
人々を救うために実行していくならば、
偉大な功徳(くどく)を受けることができると説いてます。

第五章「行持報恩(ぎょうじほうおん)」

毎日の暮らしの実践において、
生きながら生かされていることを感謝し、
一日一日を仏の教えにしたがって
大切に生かし続けていくところに仏の姿が見え、
仏となる道も見えてくるものです。

これを即心是仏といいますが、
頭や口先だけで考えるのではなく、
生活の中で即心是仏とは
どういうことなのかを究めようとすることが、
自分の命を仏の命とした生活を送ることになるです。

 大本山

永平寺(えいへいじ) 

1243 開祖・道元が設立。

福井県吉田郡永平寺町志比5−15
https://daihonzan-eiheiji.com/

総持寺(そうじじ)

もとは石川県鳳至(ふげし)郡にあり、
真言宗に属してたが、
1321年 
瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)が禅院とした。

その後、
明治年間の大火災で焼失したのを機会に現地に移転。

神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
http://www.sojiji.jp/honzan/

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