日本仏教 浄土宗_法然の極楽浄土で生まれ変わる南無阿弥陀仏 平安末期から鎌倉時代初期まで「仏教が衰え、世の中が乱れる」という“末法(まっぽう)思想”が日本中に広まっていた。これを憂(うれ)えた法然(ほうねん)は、出家者でなくても、誰でもが”阿弥陀仏(あみだぶつ)”の誓いを信じ、それにすがることによって死後、浄土(じょうど)に生まれてさとりを開くことができるとする”易行道(いぎょうどう)”の考えにもとづき、ただ「阿弥陀仏(あみだぶつ)」の名を唱えることだけで極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)できる と説いたのです。【専修念仏(せんじゅねんぶつ)】 そして、法然(ほうねん)が、念仏を往生成仏(おうじょうじょうぶつ)の根本であることを説いた書『選択本願念仏集せんちゃくほんがんねんぶつしゅう』を著した1198年が開宗の年としています。 開祖 法然(ほうねん)(1133~1212) 9歳で出家、13歳で比叡山(ひえいざん)に上り、天台教学を学んだ。 権力争いに明けくれる比叡山(ひえいざん)の生活を嫌って比叡山(ひえいざん)を下り、 43歳のとき、中国の善導(ぜんどう)(613~681) が著した『観経疏(かんぎょうしょ)』 を読んで、開眼(かいげん)する。 一心に専(もっぱ)ら弥陀(みだ)の名号(みょうごう)を念じて、行住坐臥ぎょうじゅうざが(生活のいっさいを通じて)、時節の久近(時間の長短)を問わず、念々に捨てざるは是を正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく。彼かの仏の願に順したがうが故ゆえに という一節に触発されたのである。そして凡夫(ぼんぶ)が救済される道は称名念仏(しょうみょうねんぶつ)口称念仏(くしょうねんぶつ)であることを確信し、専修念仏(せんじゅねんぶつ)の布教を開始。以後、念仏往生に疑問をいだく学僧たちを相手に論争をして勝利をおさめ、南都(奈良)や北嶺(比叡山)の既成教団からの数々の迫害と戦いながらも、勢力を広げていった。 本尊 ”阿弥陀仏あみだぶつ” 経典 『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』で、これを総称して『浄土三部経』と呼ばれている 教えの特徴 往生(おうじょう)この世を去(い)って(死後)、浄土(じょうど)に生まれること。 成仏(じょうぶつ) さとりを開いて仏になること。ただし大乗仏教では、信者が死ねば仏と一つになるという考え方もしており、死ぬことを成仏というようになったために、死者は「成仏した」と解釈している。 極楽浄土(ごくらくじょうど)「浄土(じょうど)」とは清らかな国土という意味で、現実世界を穢土えど(けがれた国土)と呼ぶのに対することば。「仏国(ぶつこく)」「仏国土」ともいい、仏や菩薩(ぼさつ)がそれぞれに建設した国土の通称でもある。大乗仏教では、すべての人間にはブッダとなることのできる性質がそなわっており、誰でも仏になることができると説いている。そこで、いままでに無数の仏が生まれ、それに応じて無数の浄土(十方浄土じっぽうじょうどという)があると考えられている。「極楽浄土(ごくらくじょうど)」は、そのうちの“阿弥陀仏(あみだぶつ)”が建設した仏国土で、そこに住む人は、“楽”だけを享受(きょうじゅ)できるので「極楽浄土」と呼ばれている。 選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう) 「選択(せんちゃく)」とは、取るべきものと捨てるべきものとを選択する。つまり、悪いもの、不必要なものを捨てて、よいもの、必要なものを選び取ることです。 『無量寿経(むりょうじゅきょう)』では阿弥陀如来(あみだにょらい)は、もともとはある国の国王で、世自在王仏(せじざいおうぶつ)の説法を聞いて出家し、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と名乗りました。 そして、法蔵菩薩は素晴らしい浄土をつくりたいという(四十八の本願)の誓いをたてて、長く巌しい修行の結果、その願いは完成し、法蔵菩薩は阿弥陀如来(あみだにょらい)となられ、素晴らしい浄土をつくられたのです。 法然(ほうねん)は阿弥陀如来(あみだにょらい)の四十八願のなかから第十八願において いっさいの諸行(しょぎょう)を捨て去り、「称号(しょうごう)念仏」のただ一行を選び出して、それを往生(おうじょう)の本願としている と解釈。 その根拠は「念仏」はあらゆる功徳(くどく)を修めるもので、しかも他の諸行(しょぎょう)にまさるものである。 そして「念仏」は誰にでもたやすく行える“易行(いぎょう)”であり、それは阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願(本来の願い)でもある。 だから、「念仏」を専念すれば百人が百人とも浄土に往生できる。というものである。と考えたのです。 この考え方は無知な民衆や貧しい人びと、そのすべてが等しく往生できることが仏教の真のあり方だとするものでした。 聖道門(しょうどうもん)と浄土門(じょうどもん)釈尊の教えを二分類したもの。「聖道門(しょうどうもん)」は、自己の能力を頼りにして修行し、この世でさとりを得ようとするもので、「自力(じりき)門」「難行道(なんぎょうどう)」と呼ばれている。一方、「浄土門(じょうどもん)」は、人がこの世に在る間は、いろいろなきずなのために妨げられるが、阿弥陀仏の衆生(しゅじょう)を救おうとする願いを信じれば、極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)して成仏できるとするもので、「他力(たりき)門」「易行道(いぎょうどう)」とも呼ばれている。”阿弥陀如来(あみだにょらい)”の誓いを深く信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」をとなえることによって、どんな愚かな罪深い人でも、いっさいの苦から救われ、明るい安らかな毎日を送ることができ、そのままの姿で立派な人間へとこう向上し、極楽浄土(ごくらくじょうど)に生まれることができる 総本山 知恩院(ちおんいん) 京都府京都市東山区林下町400https://www.chion-in.or.jp/ 大本山 増上寺 東京都港区芝公園4丁目7−35http://www.zojoji.or.jp/ 金戒(こんかい)光明寺 京都府京都市左京区黒谷町121https://www.kurodani.jp/ 百万遍知恩寺 京都府京都市左京区田中門前町103 善導寺 福岡県久留米市善導寺町飯田550http://www.zendoji.jp/ 光明寺 神奈川県鎌倉市材木座6丁目17−19http://komyoji-kamakura.or.jp/ 善光寺 長野県長野市長野元善町491https://www.zenkoji.jp/ ”浄土教”関連記事 日本仏教 親鸞の教えの極意!教行信証と悪人正機説 2019.07.19 日本仏教 浄土真宗_非僧非俗の親鸞と真宗十派 2019.07.15 日本仏教 浄土宗_法然の極楽浄土で生まれ変わる南無阿弥陀仏 2019.07.15 日本仏教 融通念仏宗_良忍と十一尊天得如来と万部おねり 2019.07.15 日本仏教 時宗_その踊り念仏の一遍とは 2019.07.09 日本仏教の流れ(歴史)と現在の宗派2019.7.19現在、日本の仏教宗派は13宗です。 なぜ、日本にはいくつもの仏教宗派があるのでしょう? それは、日本人が大陸から伝来した仏教を、 そのまま日本人の思想にしたわけではないからです。 そこには、日本人の個性的な考え方や、 独自の理解が形成され、それを生かしたからなのです。 しかし、そもそも 何故、日本人... スポンサーリンク Facebook postはてブPocket
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