サールナートに近い
ヴァラナシ(ベナレス)は、
交易と商業の町として
非常に栄えていました。
ここにヤサという
豪商の息子がいました。
たいそう裕福であったので、
夏の涼しい別荘、
冬の暖かい別荘
雨季の清潔な別荘を持ち、
美女と美食と、
まばゆい宝石と装飾品に囲まれ、
贅沢の限りを尽くした
生活を送っていたのです。
だが
彼の心は
満たされてはいませんでした。
6番目の弟子
ある夜、
床を出たヤサは
郊外をさまよい歩いて、
ああ、煩わしい。
ああ、なんと日々が
虚しいことか・・・
と途方に暮れてました。
そこに、
たまたま坐禅の
緊張を解くために
歩いていた
仏陀(釈尊)が
この声を聞いたのです。
王子だったころの
自分と同じ声、
同じつぶやきでした。
ここに来て座りなさい。
煩わしいこと、
虚しいことの
すべてを取り去ってあげよう
仏陀(釈尊)は、
3つのことを説きました。
一つ目は、
与えることの大切さ。
常に慈悲の心を持って
困窮者や宗教者に
衣食住の施しを行うことの
意義と理由を
やさしく話しました。
二つ目は、
戒律や道徳を守る大切さ。
生き物を殺傷せず、
他人の財産を盗まず、
乱れた姦淫を行わず、
嘘を言わず、
常に他人の心に
配慮した生活をする
意義と理由を
詳しく話しました。
三つ目は、
幸福と安楽を享受できる
天の世界に生まれること。
前の2つを守って暮らせば、
来世は天に生まれることを
丁寧に話しました。
これらの教えは、
修行僧に対するものとは異なり、
在家の一般の人々に
向かって説かれたものでした。
仏陀(釈尊)の説法の特徴は、
臨機応変に
その人に最もふさわしい
救いの手を差し延べる
「対機説法」
なのです。
これを聞いたヤサは
在家であるよりも
出家した方が
より優れた境地に至ることを
たちまち見抜いて、
まもなく
出家してしまいました。
この話を聞いた
彼の四人の親友も
目から鱗が落ちた思いで
すぐに出家を決意し、
その50人の友人達も、
また出家してしまったのです。
仏教教団(サンガ)の成立
このヤサの出家は、
周囲の人間にも
影響を及ぼします。
ヤサに触発されて、
ヤサの両親とヤサの妻も
仏陀(釈尊)に
帰依していくのでした。
このことは、
その後の
仏教教団の発展にとって
大きな意味を持ちます。
というのも、
彼らは、
出家することなしに、
つまり”在家”のまま
仏陀(釈尊)に帰依し、
その生活を
財政的に支えたからです。
こうした信者の裾野の広さを
持つことによって初めて
”教団”は拡大し
持続することができるのです。
事実、さらに
ヤサの友人・知己も
次々と出家し、
仏教教団は徐々に
大きくなっていきました。
釈迦十大弟子
仏陀(釈尊)を
中心とする仏教教団は、
どんどん増えてきましたが、
仏教教団をまとめる
拠点とするべき土地は、
まだ定まっていませんでした。
そこで
土地提供主となってくれたのが、
以前、
出家してまだ間がない頃に
仏陀(釈尊)に心酔した。
マガダ国のビンサーラ王でした。
首都、王舎城郊外の
竹林を寄進してくれたのです。
この”竹林精舎”は
王舎城近くあるため、
托鉢にも都合がよく、
また静かで瞑想にも適した地でした。
鉢(はち)を持って、
家の前に立ち、
経文を唱えて食事などの
施しを受けることです。
本拠地が定まった
仏陀(釈尊)の教団には、
やがて高名な
不可知論者・サンジャヤの
弟子のなかからも
入信する者が現れてきました。
舎利弗
と
目連の
二人がそれです。
彼らはのち
「釈迦十大弟子」の
二人に数えられる存在です。
また、
「十大弟子」の一人となる
摩訶迦葉も、
仏陀(釈尊)に
帰依しました。
ゴーダマの弟子たちは、
いつもよく目覚めている。
昼も夜も、
彼らは常に
ブッダ(仏)を念じている法句経『ダンマパダ』(296)
ゴーダマの弟子たちは、
いつもよく目覚めている。
昼も夜も、
彼らは常にブッダ(仏)の
教え(法)を念じている法句経『ダンマパダ』(297)
ゴーダマの弟子たちは、
いつもよく目覚めている。
昼も夜も、
彼らは常に
サンガ(僧)を念じている法句経『ダンマパダ』(298)
仏と法と僧に
帰依する者は、
四つの聖なる真理、
すなわち
「苦」と「苦の発生原因」と
「苦の超越」と
「苦の終息へとつながる八つの聖なる道」
とを正しい智慧によって見る。法句経『ダンマパダ』(190-191)
「祇園精舎」の完成
”竹林精舎”のある
マガタ国と並ぶ
強国コーサラ国の
首都舎衛城に、
スダッタという
豪商がいました。
スダッタは以前、
マガタ国で
仏陀(釈尊)と会って、
すっかり
その魅力の虜に
なった人物で、
以来、
どうにかして
コーサラ国にも
布教に来てもらおうと
考えていました。
しかし、
そのためには、
仏陀(釈尊)と
その弟子が宿泊し
修行できる
精舎(しょうじゃ)が
必要となります。
そこで彼が
目につけた土地が、
コーサラ国
祇陀(しだ)太子の
林園でした。
ところが
祇陀(しだ)太子は、
なかなかこの土地を
譲ろうとはしませんでした。
「黄金を敷きつめてもこの土地は手離さない」
と言って断っていたのです。
そこで、
一計を案じたスダッタは、
祇陀(しだ)太子の言葉を
逆手にとることにしました。
なんと!
本当に黄金を敷き始めたのです。
驚いた祇陀(しだ)太子は、
何故そこまでにして
この土地が欲しいのかを
スダッタから
詳しく事情を聞きました。
そして、
ようやく納得し
自らも半分
寄進してしまうまでに
なったのです。
これが、
「祇園精舎」
なのです。
中傷
多くの弟子を抱え、
在家にも信者を増やして
発展をつづける
”仏教教団”に対しては、
必ずしも皆が皆、
それを快く思っていた
わけではありません。
ある時、
スンダリーという
美貌の女修行者は、
仏教教団に敵対する
宗教家に頼まれ、
仏陀(釈尊)と何か関係でも
あるかのように見せかけるため、
祇園精舎のあたりを
うろうろしていました。
ところが、
ひどいことに
外道たちに雇われた
無頼漢によって殺され、
死体を祇園精舎の
かたわらに投げ捨てられて
しまったのです。
彼らはそれを
仏陀(釈尊)のせいにして、
女と遊んだあげく殺した。
という事にしたのです。
また、
托鉢に歩く教団の
比丘のなかには、
石を投げつけられる者
もいました。
こうした迫害に
耐えかねた弟子たちは、
場所を移ることを
仏陀(釈尊)に進言します。
しかし、
仏陀(釈尊)は
逃げまわることはせず、
迫害に耐える道を
選ぶべきです。
噂や中傷は
消え去るのですから
と、
祇園精舎から動こうとは
しなかったのです。
実際、
仏陀(釈尊)の言う通り、
誹謗中傷は
しばらくすると
”真相”にとって代わられ、
仏教教団の名は
かえって高まるという結果に
なりました。
この世では、
恨みが恨みによって
鎮まるということは
絶対にあり得ない。
恨みは、
恨みを捨てることによって
鎮まる。
これは永遠の真理である。法句経『ダンマパダ』(5)
恨みを抱く人たちの中で、
私は恨みを抱くことなく、
安楽に生きよう。
恨みを抱く人たちの中で、
恨みを抱くことなく暮らしていこう。法句経『ダンマパダ』(197)
入滅(にゅうめつ)への旅
80歳を迎えた
仏陀(釈尊)は、
しだいに肉体の衰えを感じ始め、
横になることが多くなっていました。
しかも悲しいことに、
釈迦国に長年恨みを抱いていた
ユーサラ国の瑠璃王は、
仏陀(釈尊)の故国を
滅ぼしてしまったのです。
また教団内でも、
釈尊の十大弟子のなかで、
智慧第一の舎利弗
、
神通第一の目連
の二人が、
相次いで世を去っていきました。
こうしたことから
仏陀(釈尊)は、
自らも”そのとき”が
近いことを
はっきり知ったのでした。
ラージャグリハの北東に立つ
グリッドラクータ(霊鷲山)に
居を定めていた
仏陀(釈尊)は、
故郷に向けて
旅立つことを決めたのです。
旅支度が整うと、
仏陀(釈尊)は
多くの人々に別れを告げ、
アーナンダらの
少数の弟子をつれて、
遠くカピラヴァストゥを
目指して最後の旅に出ました。
ゴーダマの渡し【五戒】
北へ進んでいった
仏陀(釈尊)は
雄大なガンジス河を望む
パータリプトラに立ち寄りました。
橋を架けて渡る人もいる。
木や草を編んで
筏を作って渡る人もいる。
聡明な人は
すでに渡り終わっている
人には、それぞれ個別の
悩みや苦しみがある。
乗り越えるには様々な
方法と手段はあって
しかるべきだと説いたのです。
そして、
人として行うべきではない
5つのこと
五戒
殺生殺すなかれ
偸盗盗むなかれ
邪淫邪淫をなすなかれ
妄語偽りをいうなかれ
飲酒酒を飲むなかれ
を戒めるように務めれば、
各種の渡り方があると
多くの人に語って聞かせました。
鍛冶工チュンダの供養
バーヴァー村に到着すると、
マンゴー林にいる
鍛冶工チュンダの
食事の供養を受けます。
それは、
美味なる噛む食べ物・柔らかい食物と
多くのキノコ(豚肉)料理でした。
あなたの用意した
キノコ(豚肉)料理を
わたしにください。また
用意された他の
噛む食物・柔らかい食物を
修行僧らに
あげてください
残ったキノコ(豚肉)料理は、
それを穴にうめなさい。世の中で、
修行完成者(如来)の
ほかには、
それを食して
完全に消化し得る人を、
見出しません
仏陀(釈尊)は、
鍛冶工チュンダの
供養した食事を食べて
中毒をおこし、
死に至らんとする
激しい苦痛が生じた。
しかし仏陀(釈尊)は、
実に正しく念(おも)い、
気をおちつけて、
その苦痛を耐え忍んでいた。
われらは
クシナーラーに赴こう
仏陀(釈尊)は、
苦痛をこらえながら
歩き始めました。
しかし、
何度も休みながらでないと
先には進めませんでした。
それでも
仏陀(釈尊)は、
チュンダを気づかい、
アーナンダに告げます。
責め苦しめるだろう。
だが、
私の生涯にとって、
最上の食事がふたつあった。
チュンダの食事だ。
私はこの2つに
無上の感謝を捧げる。
お前の口から
チュンダに伝えておくれ
激しい下痢に苦しみながら、
チュンダの供養の功徳を称えたのだ。
自灯明、法灯明
仏陀(釈尊)は、
おぼつかない足どりで、
ようやく歩み続けながら、
アーナンダに
向けてこう告げた。
人生の旅路を
終えようとしている。
古く壊れた車が
革紐の助けによって
ようやく動いて
いるようなものだ。
カピラヴァストゥに
着くことはない
アーナンダは
天を仰いで慟哭した。
私が常にいっている
ことを思い出しなさい。
必ず死ぬ運命を
免れないということを。
形を変えるという真理を。
生命を失おうと
しているのは、
私の肉体にすぎない。
人々が実践を続ければ、
生命を失うことはない。
常に私は生きている。
永遠に生き続けるのだ。
全宇宙において
ただひとつの
絶対不変の真理なのだ
アーナンダは、
それでも泣くことを止めずに
仏陀(釈尊)が死んだあとは、
何を頼りに生きたら
いいのかを必死で尋ねた。
自灯明、法灯明
自分自身を島とし、
自分自身を救いのよりどころとして暮らせ。
ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。法(教え)を島とし、
法を救いのよりどころとして暮らせ。
ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。『大パリニッバーナ経』
入滅
清らかな水をたたえた川、
ヒラニヤヴァティー河の
ほとりの静かな美しい村、
クシナーラーに着くと、
仏陀(釈尊)は
最期が来たことを知った。
2本のサーラ樹(沙羅双樹)の下に、
頭を北に向けて最後の床を作ってくれ。
私は、横になりたい
仏陀(釈尊)は床が整うと、
ゆっくりと身を横たえ
柔らかな微笑みをたたえながら、
静かに目を閉じた。
一方、
侍者のアーナンダは、
クシナーラーの町の人々に、
仏陀(釈尊)の入滅が
近いことを伝えた。
すると、
出家修行者や在俗の信者、
人間の眼には見えない諸天諸神、
鳥や獣たちが、
仏陀(釈尊)のまわりを
埋め尽くしたという。
やがて仏陀(釈尊)は、
修行僧たちに告げた。
お前たちに告げよう、
『もろもろの事象は
過ぎ去るものである。
怠ることなく
修行を完成なさい』と
ここで仏陀(釈尊)は、
初禅(第一段階の瞑想)に入られた。
初禅から起って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起つて、第四禅に入られた。
第四禅から起つて、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から起って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から起って、無所有処定に入られた。
無所有処定から起って、非想非非想処定に入られた。
非想非非想処定から起って、減想受定に入られた。
そのときアーナンダは、
尊者アヌルッダにこう言った。
アヌルッダよ。
釈尊は
ニルヴァーナ(涅槃)
に入られました。
釈尊は
ニルヴァーナ(涅槃)
に入られたのでは
ありません。
減想受定に
入られたのです。
そこで仏陀(釈尊)は
減想受定から起って、非想非非想処定に入られた。
非想非非想処定から起って、無所有処定に入られた。
無所有処定から起って、識無辺処定に入られた。
識無辺処定から起って、空無辺処定に入られた。
空無辺処定から起って、第四禅に入られた。
第四禅から起つて、第三禅に入られた。
第三禅から起つて、第二禅に入られた。
第二禅から起って、初禅に入られた。
初禅から起って、第二禅に入られた。
第二禅から起って、第三禅に入られた。
第三禅から起つて、第四禅に入られた。
第四禅から起つて、仏陀(釈尊)は
ただちに
寂静のニルヴァーナ(涅槃)に入られた。
入滅とともに大地震が起こった。
人々は恐怖して、身の毛が逆立ち、
また天の鼓(雷鳴)が鳴った。
古代インドの最高神、
ブラフマン(梵天)は
一切の生あるものどもは、
ついには身体を
捨てるであろう。
あたかも
世間において
比すべき人なき、
かくのごとき
師(智慧の)力を
具えた修行実践者、
正しい覚りを開かれた人が
亡くなられたように。
神々の主である
帝釈天は
実に無常であり、
生じては滅びる
きまりのものである。
生じて滅びる。
これら
(つくられたもの)の
やすらいが安楽である。
尊者アヌルッダは
かくのごとき
人にはすでに
呼吸がなかった。
欲を離れた聖者は
やすらいに達して
亡くなられたのである。
ひるまぬ心をもって
苦しみを耐え忍ばれた。
あたかも燈火の
消え失せるように、
心が解脱したのである。
アーナンダは
この怖ろしい
ことがあった。
そのとき
髪の毛の
よだつことがあった。
あらゆる点で
すぐれた
正しく覚りを
開いた人が
お亡くなりになったとき
まだ愛執を離れていない
若干の修行僧は、
両腕をつき出して泣き、
砕かれた岩のように打ち倒れ、
のたうち廻り、ころがった。
お亡くなりになりました。
世の中の
眼は
あまりにも早く
お隠れになりました。
そのとき
尊者アヌルッダは
修行僧らに告げた
悲しむな。嘆くな。
釈尊はかつて
あらかじめ、
お説きになった
ではないか。
すべての
愛しき好む者どもとも、
生別し、死別し、
死後には境界を異にすると。
このとき、
天の曼荼羅華と、
地の沙羅双樹の木が満開となり、
仏陀(釈尊)の体に降り注いだ。
修行を完成した正覚の者への
無上の供養として捧げられたのである。
釈迦(仏教)物語fa-arrow-circle-down