聖セバスティアヌスの殉教_グリューネヴァルト

聖セバスティアヌスの殉教_グリューネヴァルト

 

「イーゼンハィム祭壇画」の、
第1面
聖アントニウス_グリューネヴァルト

その左側
今回の絵があります。
「聖セバスティアヌスの殉教」です。

聖セバスティアヌス
聖セバスティアノまたは
聖セバスチャンとも言われています

聖セバスチャンなら
聞いたことありますね。

彼の絵画は、
柱に体を縛り付けられ
矢を射られた姿です。

ボッティチェッリ
エル・グレコなど
いろんな画家が描いています。

とくに
アンドレア・マンテーニャ
描いた絵画は
聖セバスティアヌスの殉教_グリューネヴァルト
私も昔から知っています。

でも、
どうしてこんな姿が
描かれたのでしょう。

その物語とは

ディオクレティアヌス皇帝は、
セバスティアヌス
裏切りを支援したことを責め、
彼を縛り付けて、
多くの矢を射続けました。

聖カストゥルスの未亡人、
聖イレーネは、

放置していた
セバスティアヌス
遺体を埋葬するために
おとずれたが、
驚いたことに
あんなに射抜かれて
全身に矢が刺さっている
セバスティアヌス
生きていました。

イレーネ
自宅へ彼を連れて行き、
回復するまで介抱しました。

回復した
セバスティアヌスのもとに
一人の少女がいました。
彼女は聾唖で盲目でした。
セバスティアヌスは彼女に
神と共にいたいと望みますか?
と尋ねました。

少女は「はい」と答え
セバスティアヌス
彼女の頭上で十字架を切りました。
すると
彼女の視力が戻ったのです。

この後、
セバスティアヌスは、
ディオクレティアヌス皇帝
死ぬまで殴打され、亡くなります。

 

セバスティアヌス
キリスト教の聖人伝集である
『黄金伝説』に記載されています。

それには、
グンブルト王時代に
ロンバルドを
黒死病
大流行が襲った際、
パヴィア地方にある
聖ペテロ教会で
聖セバスティアヌス
祭壇を建立したことで、
黒死病
大流行が止んだといいます。

それで、彼は
黒死病守護聖人となり、
このイーゼンハィム祭壇画にも
描かれているのです。

このイタリア風の男性は、
自画像という説がありますが、
どうなのでしょう?
聖セバスティアヌスの殉教_グリューネヴァルト
実際の自画像と
見比べて見ると
ん~、なんとなく
似ている。。。。
聖セバスティアヌスの殉教_グリューネヴァルト
手の部分は
習作が残っていて


完成した作品と
ほぼ一致しています。

それにしても
同性愛の守護聖人とも
呼ばれて、
他の画家だと
けっこう美形に描かれているのに
この髭面は、
いったい何故?

 

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