日本仏教 華厳宗_聖武天皇と光明皇后の平和の祈り 『華厳経けごんぎょう』 それは、仏になったお釈迦様がさとったままの言葉で人々に最初に説かれたもの。 その内容は衆生(しゅじょう)にはまったく理解しがたいもので難解なお経といわれてきた。 しかし、この『華厳経けごんぎょう』を中央集権的な思想として活かした人がいた。 聖武天皇しょうむてんのうである。 それは、全国に国分寺を建て地方を統括する総国分寺として東大寺を建て、そこに「光明 遍く照らず仏」宇宙の本源・真理そのものであるとし、すべての衆生をさとりに導く仏である毘盧舎那仏びるしゃなぶつを安置し『華厳経』の世界観を見事に表したのである。この時、その中心人物として聖武天皇しょうむてんのうをたすけて東大寺の大仏および大仏殿を完成させた僧がいる彼の名は良弁(ろうべん)それは、運命に導かれた生き方だった。 開祖 中国の唐代の僧杜順(とじゅん)(557~640) 第2祖は智儼(ちごん)(602年-668年)、 第3祖は法蔵(ほうぞう)(643年-712年)、 第4祖は澄観(ちょうかん)(738年-839年)、 第5祖は圭峰宗密(けいほうしゅうみつ)(780年-839年)と相承されている。 この中国の五祖の前に、2世紀頃のインドの 馬鳴めみょう Aśvaghoṣaと 龍樹りゅうじゅ नागार्जुन を加えて七祖とすることもある。 また(朝鮮半島)新羅しらぎにも伝わり、義湘(ウィサン)によって広められる。 伝来 736年 中国の唐代の僧・道璿(どうせん)が華厳経関係の書物を日本に伝える 740年新羅しらぎ(朝鮮半島南東部)の僧審祥(しんしょう)が 審祥 奈良の金鐘こんしょう道場(東大寺三月堂)で華厳経を講じた。 このことで、日本の華厳宗では、審祥(しんしょう)が始祖(しそ)としている 第二祖・宗祖 良弁(ろうべん)(689-773) 良弁(ろうべん)がまだ2才だった頃、 鷲にさらわれ、奈良の大きな杉の木に置かれた。 その杉の木は東大寺の境内にありたまたま 良弁ろうべんを見つけた義淵(ぎえん)が助け出し育てることにした。 義淵 そして 興福寺(こうふくじ)で法相宗を学ぶ 良弁(ろうべん)は一を聞いて十を知る頭脳明晰で、人徳も高く多くの人の尊敬を集めていた。 732年 良弁ろうべんが44歳のとき金鐘寺(こんしゅうじ)の住職になる。 740年新羅(しらぎ)僧・審祥(しんしょう)が、良弁(ろうべん)に『華厳経』の奥義を伝授させる。 聖武天皇しょうむてんのうが、 仏法によって天変地異や内乱などから国家および天皇を護(まも)り、社会を安定させたいと願いを込めて毘盧舎那仏びるしゃなぶつ像の造立を発願したときもその中心人物として聖武天皇しょうむてんのうをたすけて東大寺の大仏および大仏殿を完成させた 初代の別当(べつとう)になる(親王家しんのうけ・摂関家せっかんけ・社寺などの特別な機関に置かれた長官) 聖武天皇しょうむてんのうの看病禅師のすぐれた働きによって大僧都に任じられ、南都仏教界のトップとして僧侶の「四位十三階の制」を定めるなど、大いに力を発揮した。 85歳で大往生。 本尊 . 毘盧舎那仏びるしゃなぶつ “毘盧舎那びるしゃな”は、サンクリット語のヴャイローチャナの音号で太陽を意味する 「光明 遍く照らず仏」 宇宙の本源・真理そのものであるとし、すべての衆生をさとりに導く仏である 毘盧舎那仏びるしゃなぶつは『華厳経』によれば、蓮華蔵世界れんげぞうせかいの仏とされる。 なので、東大寺の大仏“毘盧舎那仏びるしゃなぶつ”は、蓮華台上に坐し、 蓮華蔵世界 その蓮弁には、蓮華蔵世界れんげぞうせかいが毛彫りで表わされている。 教え 『大方広仏華厳経だいほうこうぶつけごんきょう』を最高の経典にしている。 大方広の仏、つまり時間と空間を超えた仏を説いたもの 一微塵みじん(きわめて小さいものの意味)のなかに全世界が反映し、一瞬のうちに永遠の時間が含まれている と説き、 一の中に他の一切を包含(ほうがん)すると同時に、その一は他の一切の中に入る という“無尽縁起(むじんえんぎ)”を根本理想とする 縁起(えんぎ)とは、あらゆるもの(一切)は縁えん(条件)によって起こるということで、宇宙の万物は無限に関係し合って、持ちつ持たれつ生存し、存在していることである この”無尽縁起むじんえんぎ”を拠り所に、光明皇后こうみょうこうごうは、 貧民や病人を救う悲田院(ひでんいん)や施薬院(せやくいん)を建てた。 華厳では仏の立場になって見るので、最初から仏の立場に自分を置いて考え、行動することを求めるのが華厳思想である。 天台宗の「教相判釈(きょうそうはんじゃく)」「五時八教(ごじはっきょう)」の教判では、華厳経は最初に説かれ、仏のさとったままの言葉を記したもので、衆生(しゅじょう)には理解しがたいものとしている。 総本山 東大寺(奈良市) 745年聖武天皇しょうむてんのうによって創建 “総国分寺そうこくぶんじ”として「金光明四天王護国之寺こんこうみょうしてんのうごこくのてら」と呼ばれている。 1180年平重衡(たいらのしげひら)の焼き打ちにあい、大部分が焼失。現在のは立て直したもの。 毘盧舎那仏(大仏)、金堂、法華堂金剛力士像など国宝が多数ある。なかでも、正倉院の宝物は、8世紀にシルクロードとの交渉を示す貴重な資料がある。 奈良県奈良市雑司町406−1http://www.todaiji.or.jp/ 日本仏教の流れ(歴史)と現在の宗派2019.7.19現在、日本の仏教宗派は13宗です。 なぜ、日本にはいくつもの仏教宗派があるのでしょう? それは、日本人が大陸から伝来した仏教を、 そのまま日本人の思想にしたわけではないからです。 そこには、日本人の個性的な考え方や、 独自の理解が形成され、それを生かしたからなのです。 しかし、そもそも 何故、日本人... スポンサーリンク Facebook postはてブPocket
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