信頼関係について悩んでいませんか?
たとえば、
信頼していた相手から
裏切られたとか、
たった一言で信頼関係が崩れ、
それを育ちの違いのせいにしているとか、
信頼しあえる友達が欲しいとか・・・・
また
家庭にお金を入れる事で
信頼関係が成立している
と思っていませんか?
そもそも
「信頼」
とは何でしょう
あなたの都合で、
動いてくれる人のことですか?
それとも
少し仲良くなっただけで
信頼が出来たと思っていませんか?
勘違いをしてはいけません!
友達感覚やお金では
信頼を得ることが出来ません!
その結果が、
簡単に裏切られたり、
一言で崩れたりするのです。
信頼は人間関係を築く根底です。
つまり
信頼があって本当の
人間関係が成り立つのです。
ですから
信頼出来る人を
見つけるのではなく
あなた自身が
信頼される人間に
ならないといけません。
人から信頼を得るには
並大抵のことではありません。
『論語』では
「信」と“あるもの”を備えないと
人は心の底から信頼されない
と説いています。
自分が備えるべき「信」とは?
そして“あるもの”とは何でしょう?
『論語』の中から読み解いてみましょう。
「信」とは
「信」は
人+言と書き、
その言とは、
神に誓うことをいいます。
また神の意志を尋ねて
応答を待つことでもあります。
神に誓うことや
神への応答を待つことは
誠実で
なくてはいけません。
『論語』では
謹而信、
学而1-6
誠実にしたう
與朋友交、
言而有信、学而1-7
話したことばに
誠実である
と説き、
誠実で欺(あざむ)かない
ことが大事です。
欺く(あざむく)とは。
言葉巧みにうそを言って、
相手に本当だと思わせる。
言いくるめる。
だます。ということです。
つまり
「信」は、
言葉そのものです。
言葉とは
人の発する音声のまとまりで、
感情や思想が、
音声または文字によって
表現されたものです。
その言葉を使うときに、
自分の感情や思想が、
相手にとって
誠実でないと
いけない。
それが
「信」
なのです。
誠実とは
まじめで、真心があること。
『論語』では
「忠」を指します。
「忠」と「信」が合わさって、
はじめて誠実さが、
相手に伝わるのです。
これを、
“まごころの徳”
といいます。
子曰、主忠信、
学而1-8
子曰く
忠と信とを第一にする。
孔子は非常に信を重んじて、
人格を形成する
主要な概念の一つとしたのです。
そして
弟子たちに何度も教育しました。
子以四教、
文行忠信述而 7-24
「文」すなわち、
言葉による表現と
伝達の技芸
「行」すなわち、
実践
「忠」すなわち、
言動にあたっては
常に真心に従っていること
「信」すなわち、
言葉と心が一致していること
信頼を得るには
孔子は、
信頼について、
こう説いています。
子曰、
人而無信、不知其可也、
大車無輗、小車無軏、
其何以行之哉、為政2-22
孔子曰く
まるで牛車に轅の横木がなく、
馬車に轅の軛止めがないようなもので、
ひっぱっていきようがない。
轅や軛は牛車をつないだり
馬車の舵取りをする重要なモノで、
これが無いと車は動かせない。
それをたとえて
信頼がないと人間関係がなりたたない
といっています。
信頼を得るには
まず、人から信用されなければなりません。
信用されるには
誠実な言葉「信」だけでは足りません。
孔子は、
言葉と行動が一致しない者は
信用に値しないと言います。
それでも
言必信、行必果、
硜硜然小人也、子路 13-20
行動は必ずきっぱりしていさぎよい。
こちこちの小人だがね。
と説いているように
まだ足りないのです。
小人、つまりここでは
常に自分の損得を考える人を指します。
たしかに、自分の損得ばかり考えている人は
たとえ、言葉に偽りがなくても
そして行動がきっぱりしていても
そのひとの損得(都合)で
動いているので信用できないですよね。
『論語』では、こう言っています。
君子喩於義、
小人喩於利、里仁4-16
小人は利益(自分の損得)に明るい
小人は「利」すなわち
「何をしたら得か」を考えるのに対して
君子は「義」すなわち
「何をなすべきか」をまず考えるのです。
『論語』でいう「義」は
簡単に言うと
正しいやり方、正しい道、
正義などを表しています。
正しいとは合理にあうことです。
だから、孔子は
信頼を得る
確かなものとして完成するには
「義」に結びつかねばならないと
説いています。
信近於義、
学而1-13
義(正義)に近ければ、
ことばどおり実行できる
信則人任焉、
陽貨17-6
誠実で信を守れば
他人の信頼を得る
(人から頼りにされる)
ことができる。
信が義に近ければ、
それは「信義」
となります。
敬事而信
学而 1-5
自分が事を起こす
(行動する)ときには
まじめに向き合い、
誠実で信義を守らなければなりません。
自分が誠実で信義を守ってはじめて
他人の信頼を得ることができるのです。
信頼を失わないためには
孔子は、
学ぶことも必要だと
説いています。
好信不好學、
其蔽也賊、陽貨17-8
学問を好まないと、
その害として
かたくなになって
人をそこなうことになる。
何を学ぶのか?
それは、
信頼を得るのは難しく、
しかも失うのは簡単だということ
しかも、
一回失った信頼を得るのは、
ほとんど不可能だということです
だから、孔子も
信頼を失しなわないことが
もっとも重要だと説いています
子貢問政、
子曰、
足食足兵、民信之矣、
子貢曰、
必不得已而去、
於斯三者、何先、
曰去兵、
曰必不得己而去、於斯二者、何先、
曰去食、自古皆有死、民無信不立、顔淵12-7
子貢が
政治のことをおたずねした。
先生はいわれた、
子貢が
やむをえずに
捨てるなら、
どれを先きにしますか。
というと、
先生は
といわれた。
やむをえずに捨てるなら、
あと二つの中で
どれを先きにしますか。
というと、
信がなければ
安定して
やっていけない。
といわれた。
まとめ
最後に『論語』の
「信」と信頼について
まとめてみましょう。
「信」とは、
言葉そのもので
真心である「忠」と
合わせて相手に伝えることで
成り立ちます。
つまり
「忠」と「信」を
第一にすることが
大事なのです。
これを
“まごころの徳”
といいます。
さらに
言葉だけではなく行動が一致し、
合理にあうことの「義」に結びつくことで
はじめて、人から信頼されます。
そして
なによりも
信頼を失わないことが大事です。
一度失った信頼を
もとに戻すことは不可能なのです。