抑圧された世界で生きる
子供にとって
大人の世界は
自由に見えたのかもしれない...
この映画は
そんな少年が憧れる
大人への世界を
女教師の恋によって
入ってしまった物語。
最初は良かった!
刺激がいっぱい
満足していた。
でも、
大人の世界は
そう
自由で美しくなかった。
複雑で厄介な世界だった。
人間の弱さが露骨に出ている。
子供の誘惑に負けて没落する
女教師
酒におぼれる、その旦那。
そんな堕落した
大人の世界に染まらず
なんとか卒業した
主人公スティーグは、
兄の死によって
短き人生を
悟ったのかもしれません。
もっと意味のある
生き方をするために・・・。
いや~ さすが!
ボー・ヴィーデルベリ
もともと小説家として
キャリアをスタートさせた
彼なので、
この映画は
見事な文学的映像作品に
なっていましたね。
素晴らしい
この映画の題名
「あこがれ美しく燃え」は
以前紹介しました
同じボー・ヴィーデルベリ監督作
「みじかくも美しく燃え」
にひっかけたのかな
と思っていましたが
違っていましたね
原題の直訳のままの題名でした。
「あこがれ美しく燃え」は
スウェーデンでは
学校の修業式で
歌われる讃美歌で
スウェーデン人なら
誰でも知っている
歌の一節です。
また音楽のメインは
ヘンデルのアリア
《わが泣くがままに》です。
歌詞はこうです
泣くがままに
させてください
過酷な運命に
抱かせてください
自由への憧れを
この悲嘆で
打ち砕くことが
できたなら
この枷を
私の苦難の枷を
お願いですから
こういう要素を
自分の思春期に
融合させましたね。
ボー・ヴィーデルベリは
1930年
スウェーデンの南端
マルメで生まれました。
この映画の時代は
第二次世界大戦中の
1943年
舞台は、
マルメです。
そうなると
彼は13歳ですね。
映画の主人公は15歳。
まあ、
13歳だど大人の世界に
入るのは早すぎるかな
でも
ボー・ヴィーデルベリは
この映画は
「自分自身の物語ではない」
と否定しています。
では、
なぜ1986年以降
映画界から遠ざかっていた
彼が再び映画を撮る気に
なったのでしょう。
それは
たぶん
主役を演じた息子
ユーハン・ヴィーデルベリ
のために作られたから
だと思います。
ユーハンの映画デビューは
1才でした。
そのあと、
父の映画に2回出ています。
反抗期には
父との会話もなかったそうです。
64歳の、
ボー・ヴィーデルベリは
みずみずしい
21歳の息子を
スクリーンに残したかった。
しかも、
彼の青春時代で
この文学的かつ
スウェーデン的物語を…
映画を通して
息子に人生というものを
伝えたかったのかもしれません。
ユーハン・ヴィーデルベリ
は主役を演じながら
監督の助手も務めたそうです。
そして
映画作家としての父を
尊敬する仲になったみたい。
良かったですね!
この映画の2年後
ボー・ヴィーデルベリ
は癌で亡くなりました。
親子で築いた
この映画が
彼の遺作になりましたね。
第二次世界大戦時下の1943年、
中立国であるスウェーデン南部の街マルメ。
15歳の少年スティーグは、
臨時教師として赴任してきた人妻である
女教師ヴィオーラに憧れを抱くようになり、
ヴィオーラも
スティーグの熱い眼差しを意識し始める。
2人は不意のキスをきっかけに交際を始め、
ヴィオーラの家でたびたび逢瀬を重ねるようになる。
やがてスティーグは、
《 Wikipedia 》より
Data
1995年 | スウェーデン |
監督・脚本 | ボー・ヴィーデルベリ |
出演 | ユーハン・ウィデルベリ マーリカ・ラーゲルクランツ |