ラファエル前派(PRB)とは
本来「ラファエル前派兄弟団」
(Pre-Raphaelite Brotherhood)という。
「ラファエル前」の、
ラファエルとは
あのルネッサンスの巨匠!
ラファエロのことを指し
それ以前のことを意味する。
「兄弟団」は、
(宗教的な)結社を
指すものと言われている。
イギリスの
ロイヤル・アカデミー
付属美術学校の学生であった
21歳の
ウィリアム・ホルマン・ハント
20歳の
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
19歳の
ジョン・エヴァレット・ミレイ
の3人は、
ロイヤル・アカデミーが
イタリアの巨匠ラファエロが
史上最高の画家とされていて、
その絵画表現に固執し、
他の表現を認めない方針に
不満を抱いていた。
そして
1848年9月に
ラファエル前派兄弟団(PRB)
の構想が提案され、
ロセッティが
メンバーの人数を
マジック・ナンバーの7
にすることを主張。
その数をそろえるため、
弟のウィリアム・マイケル・ロセッティ
(批評家)、
フレデリック・ジョージ・スティーヴンス
(批評家)、
ジェイムズ・コリンスン(画家)、
トマス・ウールナー(彫刻家)
が会員として迎えられた。
メンバーは
定期的に会合を開いて、
同派の目標を定めていった。
すなわち
中世や初期ルネサンス
の芸術を模範とし
聖書、文学、歴史
などから
高尚なテーマ
をとり上げ、
ありきたりの表現ではなく、
現実の出来事として
具体的に描くようにつとめた。
絵を描くにあたって
同時代の美術批評家
ジョン・ラスキンが主張する。
芸術は自然に忠実でなければならない
をモットーとし、
人物、風景、静物
すべて
実物を見ながら描いた。
ロセッティは
1849年に
《聖母マリアの少女時代》を発表。
これが初の
ラファエル前派の作品である。
画面は全体的に
中世絵画となっている。
ハトは精霊を表し、
7枚の葉のついた
シェロの枝と
7本の刺のついた
イバラの枝は、
聖母の喜びと悲しみを
表している。
作者のサインの下部に、
謎めいたイニシャル
「PRB」が記されているが、
これは
Pre-Raphaelite Brotherhood
「ラファエル前派兄弟団」
の頭文字からなる
「P.R.B.」の署名なのである。
当初、
これが何を意味するのか、
ロイヤル・アカデミーや
観客にはわからなかった。
ミレイも
同じ1849年に
《ロレンツォとイザベラ》を発表し
この絵にも
「ラファエル前派」の頭文字
「P.R.B.」と署名してある。
1850年、
「P.R.B.」の
イニシャルの意味が
漏れ伝わり、
新聞に報道されると、
「ラファエル前派」に
対する非難の声が沸き上がった。
「P.R.B.」のイニシャルの
秘密をもらしたとして、
ミレイから
とがめられた
ロセッティは、
もう二度と「ラファエル前派」の
作品を公開しないことを誓う。
しかし、
ミレイとハントは、
非難を受けても、
ラファエル前派の
手法による作品を
制作・発表し続けた。
1853年、
ミレイが
ロイヤル・アカデミーの
準会員に選ばれる。
これにより
ラファエル前派が
主張していた
意味がなくなる。
絶望したロセッティは
こう記している
円卓はいまや完全に解散した
《贖罪の山羊》は
「身代わり」
「生贄」などの
意味合いを持つ
聖書の用語で、
贖罪のために
山羊に罪を背負わせて
荒野に放って
献げ物にするという作品。
この絵を描くのに
ハントは
聖書で書かれている物語を
実現どおりに描くために、
わざわざ聖地にむかい描いた。
そして、
《贖罪の山羊》の世界を
彼は40年にわたって
描き続けたと言う。