1850年、
イギリスのロイヤル・アカデミーで
物議を交わした問題作が
この絵です。
大工であるヨセフの工房に、
妻マリアとその子キリストがいます。
キリストは
左手を上げる祝福のポーズを取っており、
その手のひらには血の跡が見られます。
これは
のちにイエス・キリストが
磔刑(はりつけの刑)にされるときに
手のひらに釘を打たれることを意味します。
そして、
その手を怪我した幼いキリストを、
父ヨセフと母マリアが慰めているのです。
この絵の題材は、
1849年に教会で聞いた説教が
もとになっているそうです。
この絵を描いたのは
ジョン・エヴァレット・ミレイ
イングランドの
ロイヤル・アカデミーで活躍し
晩年には、
ロイヤル・アカデミーの
会長も務めた画家です。
そんな彼が描(えが)いたこの絵は
当時のロイヤル・アカデミーを批判し
「ラファエル前派(PRB)」として描いた作品でした。
この当時は一般的に、
イタリア・ルネサンスの
巨匠ラファエロが
史上最高の画家とされていました。
そして当然
ロイヤル・アカデミーでも、
ラファエロみたいな
絵を描かされていたことでしょう。
これに不満を抱いた
若き三人の画家がいました。
21歳のウィリアム・ホルマン・ハント
20歳のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
19歳のジョン・エヴァレット・ミレイ
彼らは、
ラファエロ以前の
初期ルネサンス芸術を
蘇らせるために秘密の組織
「ラファエル前派兄弟団(PRB)」
を結成しました。
そして、
宗教的題材あるいは
文学性の濃い作品を
細密な描写で描くことにしたのです。
この絵もキリストを描いた
宗教的題材です。
背景の作業テーブルは、
《最後の晩餐》をイメージします。
また、
水の入ったボウルを運ぶ子供は、
洗礼者ヨハネです。
これは明らかに
《キリストの洗礼》を意味しています。
当時の1850年に
ロイヤル・アカデミーで
展示されたときには、
この絵のタイトル
「両親の家のキリスト」ではなく
無題で、
聖書からの引用文が
添付されていたそうです。
その引用文とは
だれかが彼に、
『汝の両手にあるこの傷は何か。』
と聞いたとしよう。
彼は、
『私の友人の家でできた傷です。』
と言うであろう。ゼカリヤ書13:6
ところが、
この絵は神を冒涜するものである
として強く非難されました。
さらに、
PRBのイニシャルの意味が漏れ伝わり、
新聞に報道されると、
ジャーナリストや批評家は
史上最も偉大な画家を侮辱した
として彼らを激しく攻撃したのです。
チャールズ・ディケンズは
この絵に描かれた幼いキリストを、
「醜悪で首が曲がった、泣き顔で赤毛の少年」
と酷評し、
自分の主宰する
雑誌『ハウスホールド・ワーズ』で
これを徹底的にこきおろしました。
あまりにも大きな騒動を
引き起こしたために、
とうとう
ヴィクトリア女王までも
自分の目でその絵を確かめるために、
ロイヤル・アカデミーから
自分のもとへ運ばせたほどでした。
ヴィクトリア女王とともに、
この絵を内覧したアルバート公は、
ラファエロの熱心な信奉者でありましたが、
この作品を認めて
翌年(1851年)の
ロイヤル・アカデミーの晩餐会で
酷評した批評家側を
攻撃するスピーチを行いました。
ミレイ鑑賞作品一覧