仏教とは
ブッダになることを教える宗教である。
この文だけでは、
ちょっとわかりずらいですよね。
そもそも
何故、教えが2つ存在しているのでしょうか?
そして、ブッダとは誰でしょうか?
さらに、ブッダが説いた教えとは?
そのうえ、もうひとつの
ブッダになることを教えるとはどういうことでしょうか?
これからそれを見ていきましょう。
ブッダとは誰?
「目覚めた人」「悟った人」
「真理を体得した者」です。
ちなみに
「仏」は、仏陀の略語で、
「如来」は、
「真如(真理)から来た者、真理から生まれたもの」
という意味で、これもブッダのことです。
つまり、ブッダ=「釈迦」自身だけというわけではないんです。
ブッダは、他に何人もいます。
大乗仏教では、
真理を得たさまざまな仏(如来)
がいます。
唐代(8世紀頃)の僧
智昇が書いた『集諸経礼懴儀』
には、ブッダ(仏)は
十方十仏・過去七仏・五十三仏・
賢劫千仏・三十五仏・十方無量一切仏など
あらゆるブッダ(仏・如来)がいます。
ブッダについて詳しく知りたいの方はこちらを御覧ください。fa-arrow-circle-o-down
では、
お釈迦様とは、いったい誰だったのでしょうか?
お釈迦様(略して『釈迦』)は誰?
本名はゴータマ・シッダールタ
シャーキャ族(釈迦族)の王子です。
ゴータマは姓、シッダールタは名です。
お釈迦様とは、彼が出家して、悟りを開き、
聖人になったことで呼ばれた敬称です。
また、彼がバラモンの苦行者であったときには、
シャーキャムニ(釈迦牟尼)=釈迦族の聖者と呼ばれ、
成道後(覚りを開いた後)はゴータマ・ブッダ、
シャーキャムニ・ブッダ(釈迦牟尼世尊=釈尊)
などと呼ばれていました。
釈迦(仏教)物語fa-arrow-circle-down
“ブッダが説いた教え”とは
これを説いたブッダは、
(ゴータマ・ブッダ)お釈迦様のことです。
つまり、
“お釈迦様が説いた教え”ということで、
『釈迦の仏教(原始仏教)』を指します。
救いの拠り所は自分自身です。
きびしい修行(自己鍛錬)をとおして煩悩(欲)を消し去り
安らぎの境地(涅槃=ニルバーナ)に到達し
そこから人間として生きる道
(真実の理法=ダルマ)を明らかにするものです。
ダルマとは、事物を理解し実践するための規範(教え)です。
お釈迦様の教えを聞いた人々は、
お釈迦様のもとで修行をした方が、よりすぐれた境地に至ると思い
世俗の生活(財産や家族)をいっさい捨てて
仏道生活にはいりました。
これを出家といいます。
しかし、出家したものが到達する境地は「阿羅漢」で
お釈迦様のような「ブッダ」になるわけではありません。
“ブッダになることを教える”とは
これは『大乗仏教』のことです。
つまり仏教には、
まず「釈迦の仏教」と
「大乗仏教」の
大きな2つの教えがあるのです。
何故、2つあるのかは次の項目に書いてあります。
大乗仏教の世界では、
ブッダが何人も存在しています。
ブッダは限りない知恵と慈悲とをもって、
いっさいの人々を救おうとする絶対者です。
お釈迦様も「大乗仏教」では
過去にブッダと出会い
「あなたのように、私もなりたいので修行します」
と誓い(誓願)を立てて
菩薩=仏陀を目指す修行者となり
何度も生まれ変わって(輪廻を繰り返し)
ブッダになりました。
また、大乗仏教ではお釈迦様やその弟子達のように出家をしなくても
在家のままでブッダへの道を歩むことが出来ます。
在家とは、普通の生活をしながら仏道に帰依する人のことです。
帰依とは、神仏を信じてその力にすがること。
つまり、「三宝に帰依する」ことで、あなたもブッダになれるのです。
「三宝」については、次の項目で説明します。
それでは、”ブッダになるための教え”とは
なんでしょう?
それは、大乗仏教系の経典で伝えられているんです。
また経典、つまりお経は各宗派によって、
それぞれ違います。
そして各宗派によって
ブッダになれる時期や到達するための手段
さらに、ブッダ(仏)も違ってくるのです。
つまり、“ブッダになることを教える”
ことを受けるには
大乗仏教の中に、いくつもの宗派があり、
その中から自分にあう宗派を選ぶ必要があるということになります。
何故、違う2つの教えがあるのか?
何故、仏教には2つの違う教えがあるのか?
そして、何故、ブッダは釈迦だけでなく何人もいるのか?
それは、お釈迦様が生きていた時代の教えと
亡くなった後、弟子たちと時代によって変化した教えで違ってしまったのです。
1 教団の分裂
お釈迦様が亡くなって、約100年後のことです。
インドは経済発展期で、国は充実していました。
そして、僧たちも王侯貴族や大商人の信者から豊富な布施を受け、生活は安定していました。
僧らは、次第に在家信者への教導を怠るようになり、僧院に閉じこもり、
自己の覚りを得るための修行や、
仏教理論の構築に没頭してしまいました。
このような時代が長く続きました。
やがて、そんな保守的な彼らに不服とする僧たちが集まって大衆部を結成します。
教団は保守的な上座部と大衆部に分裂することになりました。
これを「根本分裂」といいます。
そして分裂はその後も繰り返し、やがて衆生救済を目的とした大乗仏教が成立しました。
衆生とは、生命のあるすべてのものです。
2(上座部)小乗仏教と大乗仏教の違い
まず、仏教には
「自利」と「利他」
という考え方があります。
「自利」とは、自分だけの利益。
「利他」とは、他人に利益を与えること。自分の事よりも他人の幸福を願うことです。
(上座部)小乗仏教では、
出家してお釈迦様の教えを忠実に守って修行し、自己の煩悩を断ち、
解脱を得て「阿羅漢」となることを目的とします。
しかし、そこには他人を救済するという
「利他」の思想はありません。
しかも、
自らブッダになろうとは考えていないのです。
これに対して、
大乗仏教では他者を
済度(迷い苦しんでいる人間をすくって=済、悟りの彼岸にわたす=度)
する「利他」の修行があって、
はじめて自分の悟り「自利」があるとします。
そして、自分自身も菩薩(悟りを開く前のブッダ)となり、
他者をもブッダの位に導くことを理想としました。
ここから、弥勒菩薩や観音菩薩などさまざまな菩薩が生まれて信仰を集め、
ブッダ(仏)の教えを普遍的な真理としたことによって、多数の仏が存在すると考えるようになったのです。
3 三宝帰依
「三宝」とは、仏教の基本で「仏・法・僧」と呼ばれる3つの宝物を指します。
お釈迦様の時代と大乗仏教では、
この「三宝」もまったく違う内容になっています。
お釈迦様が生きていたときは、
真理に目覚め「仏陀」となった
ゴータマ・ブッダ(お釈迦様)自身が「仏」です。
そしてゴータマ・ブッダ(お釈迦様)が
説いた教えが「法」
お釈迦様の教えを学ぶ、
出家僧の集団(僧伽)が「僧」です。
ここでは、
ブッダ(お釈迦様)が説いた教えの
「法」が、もっとも重要とされています。
これが仏教は「ブッダの説いた教え」の方になるのです。
一方、大乗仏教では、
大乗仏教が生み出した諸仏(もろもろの仏)で、
人々を救済する仏・如来(ブッダ)が
「仏」になります。
そして、高僧が瞑想体験によって、
その諸仏の教えを伝授し、
それを集大成にした経典のことを
「法」
その経典に書いてある
「仏(ブッダ)になることを教える」のが
「僧」なのです。
大乗仏教では、
崇拝される「仏」が重要とされています。
日本の仏教は、「大乗仏教」
現在、日本の仏教宗派は13宗です。
なぜ、日本にはいくつもの仏教宗派があるのでしょう?
それは、日本人が大陸から伝来した仏教を、
そのまま日本人の思想にしたわけではないからです。
そこには、日本人の個性的な考え方や、
独自の理解が形成され、それを生かしたからなのです。
しかし、そもそも
何故、日本人は仏教が必要だったのでしょうか?
その答えは、歴史の中にあります。
これから、紐解いて見てみましょう!
キッカケは、
朝鮮から贈られてきた仏像一体から
はじまります。
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