”シャーキャ族”の王子
シッダールタ(釈迦)は、
何一つ不自由のない生活を捨て
生死の問題を
根本的に解決するために
出家をした。
しかし、この時代は
正統バラモン教を否定し
さまざまな修行者が
独自の思想を思うがままに
展開していたのである。
シッダールタ(釈迦)は、
いかにして独自の悟りに至ったのか
仏教誕生の核心に迫る
2人の仙人
出家したシッダールタ(釈迦)は、
まず師を求めました。
最初の師は、
禅定家で
300人の弟子がいる
アーラーラ・カーラーマ仙人でした
「禅定」とは、
坐禅瞑想によって精神統一をはかる修行法で、
徹底した無執着の境地
「無所有処定」
に至ることで、140年もかかる修行です。
それはこういうことだ。
自分を取り巻く外の世界に
ついてだけではなく、
自分自身の心の内の働きさえも
超越して無念無想の
境地に至ることだ。
これを“無所有処”という
アーラーラ・カーラーマ仙人は
胸を張って告げました。
ところがシッダールタ(釈迦)は
短期間で到達してしまいました。
驚いた師は、
ぜひ教団の指導者になってください
とお願いをしましたが、
シッダールタ(釈迦)は
まだ私が求めている
救いとはいえない。
ほかの方法を探そう・・
と拒み去ってしまいました。
次に訪れたのは、
700人の弟子を従えた
ウッダカ・ラーマプッタ仙人でした。
それはこういうことだ。
すべての認識段階を超越し、
知覚も非知覚もない
境地に至ることだ。
あるのでもなく、
ないのでもない状態で、
これを“非想非非想処定”という
シッダールタ(釈迦)は、
これもすぐに境地に至ってしまった。
このときも、教団の指導を望まれたが、
これも固く謝辞しました。
最終的な救いとは
隔たりがある。
重ねるだけでは
いけない。
徹底的に鍛えあげて
真理をつかみとらなければならない。
過酷な苦行
シッダールタ(釈迦)は、
ウルヴェーラ地方の
セーナーニ村に訪れました。
ここでは修行者たちが集まり、
さまざまな苦行を行っている森があり、
シッダールタ(釈迦)は、
この森で絶食の苦行を始めました。
絶食は21日間が限界とされているが、
シッダールタ(釈迦)は
数倍の日数をついやしたのです。
人々は驚嘆し称賛しました。
この噂を聞き次々と苦行者が
シッダールタ(釈迦)の
もとへ集まるようになりました。
そして、
シッダールタ(釈迦)を中心とする
6人の苦行集団ができ、
呼吸を止める苦行など
さらに激しい苦行が行われました。
時が過ぎて。
シッダールタ(釈迦)の体の肉は
剥げ落ち、目は深く窪み、
皮膚は骨や筋や
血管の一本一本までが
はっきりわかるように
なっていました。
仲間たちは、
ついに死んでしまったと錯覚するぐらい、
もはや生きていること自体が奇跡としか
いいようがない悲惨な姿になっていました。
しかし、
未だに悟りが開けない
シッダールタ(釈迦)は思ったのです。
快楽の生活が
極端であると
いうのならば、
生命を賭してまで
身をさいなむ苦行もまた、
極端である。
極端によって、
真理を捉えることが
できるものであろうか。
いかなる極端にも
偏せぬ中道を歩んでこそ、
はじめて到達できる
地点なのではないのか・・
釈迦の教え “中道”
お釈迦様は
渇愛に基づく快楽や、
極端な苦行の
どちらに偏っても
真理には到達できないことを悟った。
すなわち
「中道」
にこそ正しい実践の道
であると悟ったのです。
降魔成道(ごうまじょうどう)
苦行を放棄した
シッダールタ(釈迦)は
川岸にたどりつき体を水で清めた、
弱りきった体は
歩くことすらままならなかった。
ようやく
神聖なバニヤンの樹の下で
休んでいると、
一人の村娘が
やってきました。
娘は、
セーナー二村の村長の娘で、
名を
スジャーター(善生)
という。
娘はバニヤンの樹へ
極上の乳粥を
捧げ物として
持ってきたのであった。
この修行者は、
何という疲れ果てた体なの。
そうだわ、
この乳粥を差し上げましょう。
受け取った
シッダールタ(釈迦)は、
久しぶりに
食事を頂きました。
これを
5人の修行者が
見て脱落したと判断し、
修行者の集まる
サールナート(鹿野苑)
へと去っていきました。
体力が回復した
シッダールタ(釈迦)は、
菩提樹のもとに
坐禅を組んで
この座を立たず
と決意を固め
禅定に入ったのです。
このとき、
遥か彼方の地獄に聳えていた
魔王の宮殿は激震に襲われた。
驚いた魔王は、
真理の道を完成させようとしている
人間がいることに気づき、
急いで3人の娘を送らせたのです。
タンハー(渇愛)
ラーガ(快楽)
アラティ(嫌悪)
の3人の娘は、あらゆる魅力で
シッダールタ(釈迦)を誘惑しました。
しかし、
3人の娘は一撃のもとに
退けられたのです。
魔王は全軍を率いて
シッダールタ(釈迦)に襲いかかりました。
しかし、
シッダールタ(釈迦)は冷静にすべてを
見抜いて魔王を叱った。
第一の軍勢は
欲望だ
第三は飢渇、
第四は妄執、
第五は
怠惰と睡魔、
第六は恐怖、
第七は疑惑、
第八は
虚勢と強情、
利欲と
名誉欲と
驕慢だ。
これらと戦おう、
敗れて
生きるよりも、
戦って
死んだほうがよい。
かかってくるがいい
魔王の軍勢は
ことごとく
打ち破られました。
そして、
シッダールタ(釈迦)は
静かに瞑想に入ったのです。
死んでは行き、
ただ車輪のように
繰り返している
だけではないか、
同じように生まれて
同じように苦しんでいる。
どの生涯にも
永遠の実体などないのに・・
人は生まれると、
欲しい、惜しい、
憎い、妬ましい、
愛らしいなどの心が蠢きだす。
その心が執着を育て、
さらに激しい心の動きとなる。
苦しみ、憂い、
悲しみ、悩みはまぎれもなく、
ここから起こっている。
永遠に続く確実なものなど
何ひとつないのに、
執着に執着を
重ねて心の痛みはつのっていくのだ。
人々は、この真実に気づいていない。
つまり
無明の状態に
陥っているから苦しみ悩む。
ものごとを正しく、合理的に考える力が
欠如している本質的なおろかさを指します。
《愚かさが諸悪の根源》
《煩悩のもと》
ということなのです
どこにもないように、
いかなるものも
移り変わり揺れ動き、
絶対不変なものなど
ありえない。
無数の原因や理由によって、
結果が成立している。
気の遠くなるほど
数多い恩恵により、
お互いの存在を
助けあって
作りあげているのだ
シッダールタ(釈迦)は、
無明に端を発し、
行・識・名色・六処・触
・受・愛・取・有・生・老死に至る
複雑な十二の因縁
による
縁起の構造を解明しました。
目の前に見える
限られたものに
執着することの
無意味さを理解し、
真理に目覚め
「仏陀(ブッダ)」
となったのです。
12月8日、
シッダールタ(釈迦)
35歳のときでした。
“縁起”と“十二因縁”
シッダールタ(釈迦)は結局、
6年間の修行で
ウパニシャッド哲学での
輪廻から解脱した方法でなく、
坐禅による
“縁起”“と”十二因縁“
によって真理に目覚め
輪廻から解脱し
「仏陀(ブッダ)」になりました。
縁起(因縁生起)
すべての現象は
「因」という直接の原因と
「縁」という関節的な条件が
お互いに関係し合って生じたり、
滅したりすることを意味します。
十二因縁
「十二縁起」とも言います。
シッダールタ(釈迦)が悟った
十二の「縁起」の理法を
しめしたもので、
無明を原因として苦しみが
起こってくる仕組みになっています。
一般的には、
無明のせいで、ものごとの本質を
理解していないために、
老いや死への恐れ、苦しみが生じる、
という過程を示しています。
これを「流転門」(順観)と言います。
しかし、
シッダールタ(釈迦)は“縁起”と
この”十二因縁“を理解したうえで
心の修練を繰り返し、
最初の無明を滅して、
次々に各段階を消していき、
最終的に老死の苦しみも消しさりました。
これを「還滅門」(逆観)と言います。
無明
一切のものは苦である・
無常・無我などの真理を
知らず迷いのなかにいる状態。
行
無明ゆえに
身(身体)・口(言語)・意(精神)
の三業が、
現世にその結果(応報)としてもたらす力。
業の作用。
識
六識《六つの認識》
(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)
を表し、ブッタはここで
入胎・在胎(妊娠)・出胎(誕生)の
三種の因果と認識の作用を説いている。
名色
識の対象(所縁)としての
六境《六つの認識対象》
(色・声・香・味・触・法)を指す
六処
六根《六つの感覚器官、能力》
(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)
を指す。
触
六根・六境・六識を複合した認識の条件を指す
《十八界》
眼は色(もの)、耳は声(音)、
鼻は香(匂い)、舌は味、
身は触(体感)、意は法を対象として、
それぞれの触が生じる
受
触が生じた感覚、
心の感受作用(楽・苦・捨の三受ある)
愛
渇愛=
渇ききったものが、
水を求めるような飽くなき欲望。
愛欲。衝動。
取
受に対する飽くなき欲望をさらに強める
欲取(感覚-喜びへの執着)
見取(間違った視点への執着)
戒禁取(儀式と象徴への執着)
我語取(自己信条への執着)
の四取を指す。
有
欲望に基づく原因から生まれたあらゆる存在。
三界のいずれかに存在する。
【三界】
一切の衆生が生死流転する迷いの世界。
欲界(淫欲、食欲の2欲の強いものが住む所)
色界(2欲を離れたが、まだ物質的存在にとらわれているものの住む所)
無色界(物質を超えた世界)
生
渇愛に基づく生は苦に満ちている。
老死
老い、死を迎えることは苦そのものである。
後に、部派仏教の1つ
“説一切有部”では、
「三世両重の因果」というのがあって
十二縁起が”輪廻”と”業”の思想に
結びついた内容になっています。
(と、私は思います)
こちらのほうが、
十二縁起がわかりやすいかもしれません?
前世での無知無明
で
愚かな行為行によって、
現世に受胎し認識識を得て、
胎体で心身を発達させ名色
感覚器官六処が育って誕生し、
1~2歳頃までものに触れて触
3~5歳頃に苦楽を識別して感受し受
思春期ごろから欲が生じ愛
執着し始め取
業によって、来世への輪廻が決定し有
生まれ変わり生
再び苦しみを味わう老死
- 天上天下唯我独尊_釈迦誕生そして死と地獄
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- 諸行無常、諸法無我、涅槃など釈迦の思想を解説
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