法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論

道昭が中国に渡り
『西遊記』で有名な
玄奘三蔵げんじょうさんぞう
の教えを受けて
日本で開宗した
法相宗ほっそうしゅう

その教えは
心の深層を表す
唯識ゆいしき論』であった。

現代でもベトナム人僧侶の
ティク・ナット・ハン
唱えた瞑想法、
マインドフルネス
として活かされいる
その「唯識ゆいしき」とは

インドの
無着(むじゃく)と
世親(せしん) 兄弟に
よって大成された。

それは
大乗仏教の「空」の思想を
さらに進めたものであった。

始祖

玄奘三蔵げんじょうさんぞう
(602~664)

法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論

「三蔵法師」の名で知られ、
仏教の原典を求めて17年間にわたる西域・インドの長い旅を果たして
大唐西域記だいとうさいいききを著した

 宗祖

窺基きき慈恩じおん大師
(632年 - 682年)

法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論

玄奘の弟子

多くの著書を持ち
「百本の疏主(そしゅ)、百本の論師」
と称(しょう)された。
その著書中の
法苑義林章ほうおんぎりんじょう

成唯識論述記じゅうゆいしきろんじゅつき
から
法相宗の宗義が形成され、
窺基(きき)を宗祖とするに至る。

 伝来

奈良時代の高僧道昭(どうしょう)
(628~700)

法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論

653年
中国に渡り長安の慈恩寺にて玄奘に師事し、
法相宗系の教学を主に学んだ。

また、玄奘の
「経論研究ばかりでなく、禅を学び、
 それを日本に伝えなさい」
との教えにしたがい禅宗も修学してきた。

玄奘から舎利(しゃり)《釈迦や聖者の遺骨》や
多数の経論、法相の注釈書などを与えられ
日本に帰国後は元興寺(がんごうじ)に
禅寺を建てて住む。
法相宗を広めるとともに、禅を教えた。

さらに、全国を行脚して井戸を掘ったり、
橋を架設するなどの社会事業も行った

72歳で亡くなる。
遺言で遺体は火葬されたが、
これが日本で初めての火葬といわれている。

さらにその後も、
659年には、
智通(ちつう)・智達(ちたつ)

703年には、
智鳳(ちほう)・智鸞(ちらん)・智雄(ちゆう)

735年には、
玄昉(げんぼう)

四回にわたって日本に伝えられる。


道昭・智通(ちつう)・智達(ちたつ)は
玄奘に直接教えを受け、帰国後、
元興寺(がんごうじ)を中心に教えを広めた。

智鳳(ちほう)・智鸞(ちらん)・
智雄(ちゆう)・玄昉(げんぼう)は、
窺基(きき)の弟子、智周(ちしゅう)に学び、
帰国後、興福寺こうふくじを中心に教えを広めた。

 教え

成唯識論じゅうゆいしきろんの万物唯識を説く。

「唯識」とは、ただ識ばかりという意味で、
一切万法が私の心から生まれ出たものであり、
私の心をはなれては一切の存在はなく、
一切万有が私の心そのものである と説く。

そして、認識作用をなすものとして

眼・耳・鼻・舌・身・意六識をあげ、
その奥に

末那識(まなしき)
阿頼耶識(あらやしき)”の二識を加える。

末那識(まなしき)”とは、
時と所に応じて自我を自我たらしめる意識である

阿頼耶識(あらやしき)”とは、
無限大な容(い)れ物という意味。

私たち人間の
「なすこと」(身業)
「いうこと」(口業)
「思うこと」(意業)の

すべての行為が、
経験として消えることなく残り、
煩悩(ぼんのう)となる存在が
種子(しゅうじ)として宿っている。

そして、この
末那識(まなしき)(自我意識)

阿頼耶識(あらやしき)
(煩悩の種子(しゅうじ)を宿している)

修行によって自覚し、
それを無「空」にすることによって悟りを得る。

「唯識(ゆいしき)」の発端は、
瑜伽(ゆが)」、現代のヨーガを
行う人びとから、「心」が存在する
という思想が打ち出されたことからだといわれています。


4,5世紀頃に、
無着(むじゃく)Asaṅga
世親(せしん) वसुबन्धुの兄弟に
よって「唯識(ゆいしき)」思想を大成されました。


兄の無着(むじゃく)Asaṅgaは、

伝承によると
神通力で兜率天(とそつてん)に向かい、
そこで釈迦の次にブッダになると言われる

弥勒菩薩(みろくぼさつ)から

大乗仏教の空」思想を会得したそうです。

無着(むじゃく)は多数の書を残しましたが

とくに

『摂大乗論』(しょうだいじょうろん)は
「唯識(ゆいしき)」思想を理論的に
体系化したものを書いたものです。


弟の世親(せしん) वसुबन्धु

無着(むじゃく)Asaṅga
よってまとめられた
「唯識(ゆいしき)」思想を
さらに発展させ集大成にしました。

『唯識二十論』では、
「唯識(ゆいしき)」の根本主張の正しさを証明し、
最後の書
『唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)
では、
わずか30の簡潔な頌(しょう)の中で
「唯識(ゆいしき)」を説明し、
それまでの「唯識(ゆいしき)」を集大成にしたのです。

そして
中国の玄奘(げんじょう)
窺基(きき)がまとめたものが、

法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論
法相宗_三蔵法師が伝えた唯識論

法相宗の『成唯識論(じょうゆいしきろん)
なのです。

「唯識(ゆいしき)」は、
現代でも生かされています。
それは、
マインド・フルネスというものです。

マインド・フルネスとは、
ベトナム人僧侶の
ティク・ナット・ハン
唱えた瞑想法で、
「瞑想」を通して自分を高めることができる
実践的な宗教のことです
彼の思想と教えの土台になっているのは
「唯識(ゆいしき)」なのです。

今アメリカやヨーロッパでは
「唯識(ゆいしき)」の関心が高まっています。

マインド・フルネスは、
心理学的治療法で、
慢性疼痛(まんせいとうつう)
心身症、
摂食障害(せっしょくしょうがい)、
うつ病などに効果が
あることが実証されています。


「心」を、ヨーガ(実践)して
自己の内部に深層から観察・分析し、
その秘密を解き明かしたのが
「唯識(ゆいしき)」なのです。


 大本山

興福寺こうふくじ
奈良県奈良市登大路町48

起源は、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の
妻・鏡女王(かがみのおおきみ)が
山背(やましろ)に創建した
山階寺(やましなでら)。

その後、
飛鳥に移建されて厩坂寺(うまやさかでら)になる

平城京 遷都せんとにともなって、
藤平不比等(ふひと)が現在地に移建して
興福寺(こうふくじ)と改めた。

五重塔、東金堂、北円堂など国宝や
四天王寺立像など文化財などがある。

http://www.kohfukuji.com/

薬師寺
奈良県奈良市西ノ京町457

671年 聖武天皇が皇后(のち持統天皇)の
病気 平癒へいゆを祈願して建立

もとは藤原京にあったもの、
平城京遷都にともなって移建された。
東塔、金剛薬師三尊など国宝がある。

https://www.nara-yakushiji.com/

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