ひとりの念仏は
すべての人のためにあり、
すべての人の念仏は
ひとりのためにある。
互いに融通し合って、
極楽浄土がかなう
こう説いた
融通念仏宗の開祖
良忍
天台宗だった良忍は
比叡山を去り
凄まじい修行のはてに
融通念仏を唱えた。
良忍が唱える声明は
芸術的で邦楽の元祖だという。
それは一体どんなものだったのか?
良忍(りょうにん)
(1072~1132)
十二歳で 比叡山に登って出家し、
天台教を修学。
のち、堕落していた 比叡山を去り
洛北・大原の地に入って
“来迎院(らいごういん)”を創建し、
修行をはじめる
ここでの修行は、
睡魔をしりぞけるために
手足の指を切り燃やしたり、
1日6万回念仏を唱えたり、
かなり凄まじいものだった。
そして、この地で最初にとなえたのが、
「融通念仏(ゆうづうねんぶつ)」である。
これは、一人のとなえる念仏と、
多くの人たちのとなえる念仏とが、
互いに“融通(ゆうずう)”し合って
往生(おうじょう)のきっかけになる
というもので、その原型は
「天台浄土教(てんだいじょうどきょう)」にうかがえるという。
その後、修行を重ねて
1117年
46歳のときに“阿弥陀如来”の示現(じげん)
(神仏が不思議な霊験をあらわすこと)
を受けて
“融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)”を開いた。
良忍(りょうにん)は、開宗以来、この教えを実行に移し、
全国に“念仏 勧進”の行脚を
してまわった。
それは、 勧進帳に名前を記入し、
毎日「南無阿弥陀仏」の念仏を
唱えると誓えれば、
往生が約束されるというものだった。
そして信者は、毎朝、 西方に向かって、
念仏を十回となえることを日課としている。
良忍(りょうにん)は、いったん衰えた
「天台声明(てんだいしょうみょう)」を
再び盛んにした事でも高く評価されている。
声明(しょうみょう)とは、
お経などを音楽的なふしをつけて朗々と読み上げるもので、
一説によれば、 浄瑠璃や小唄などの
邦楽の元祖とも言われている。
“十一尊天得如来”の画像。
阿弥陀如来を中心に十体の菩薩が
まわりをとりかこんでいる画像
これは、
地獄、 餓鬼、畜生、修羅、
人間、天上、 声聞、縁覚、
菩薩(ぼさつ)、仏(ほとけ)の十界が
一念にそなわることを表示したものです。
『華厳経(けごんきょう)』
『法華経(妙法蓮華経)』
一人がとなえる念仏が
万人(多数の人)の念仏となり、
万人の念仏が、
また一人の念仏に集約される
という考え方を説く。
そして、良忍(りょうにん)が
“阿弥陀如来(あみだにょらい)”から
感得したこの教えは、
一人一切人 一人一切人
一行一切行 一行一切行
是名他力往生 十界一念
融通念仏 億百万遍 功徳円満
という文章で表現されている。
これは、
一則(いちそく)一切(いっさい)・
一切(いっさい)則一(そくいち)
ということばであらわされるように、
大宇宙のなかにあるすべての物は、
それぞれが関連し合って存在している。
だから、一微塵(きわめて細かいもの)を、とればそのなかに大宇宙が含まれているし、宇宙は微塵を含んでいる
という哲学思想で、
『華厳経(けごんきょう)』の 経典を
もとづく考えかたである。
一則(いちそく)一切(いっさい)・
一切(いっさい)則一(そくいち)
そして、一人の念仏が
あらゆる人の念仏と融通し合って
往生浄土(おうじょうじょうど)が可能にする
と説くことから
「 他力往生」と名付けている。
さらに、念仏だけではなく、
一つの善い行ないが、
他のあらゆる善い行ないと融通する
とも説いている。
二十五菩薩の万部おねり
5月1~5日まで、
大念仏寺(だいねんぶつじ)で
「万部おねり」が行われる。
これは、
二十五菩薩聖聚来迎阿弥陀経万部法要
といって
金色の仮面をした 阿弥陀如来と 菩薩が、ねり歩き
死者を極楽へ往生させる様子を表現したものである。
大念仏寺(だいねんぶつじ)
大阪府大阪市平野区平野上町1-7-26