シュッドーダナ(浄飯王)は、
シッダールタ(釈迦)が成長するたびに
アシタ仙人の言葉を思い出し、不安になった。
そして、
シッダールタ(釈迦)を出家させないために、
世俗の快楽を求めることをすすめ、
暑季・寒季・雨季それぞれの季節を
すごす3つの宮殿を与え、
ありとあらゆる贅沢な生活を送らせた。
さらに、
同じ釈迦族の善覚王の娘
ヤソーダラー姫と結婚させ、
ラーフラという息子が生まれた。
シュッドーダナ(浄飯王)は、
天にも昇る気持ちで、
数々の誕生の儀式を行った。
一族の繁栄の証として
孫が生まれたからだ。
何一つ不自由しない生活をしていた
シッダールタ(釈迦)だが、
精神的には、
満たされぬ思いに沈んでいたのです。
それを見ていた
シュッドーダナ(浄飯王)は、
気晴らしのため
春の野に遊楽することをすすめました。
シッダールタ(釈迦)は、
カピラ城にある4つの門から
順次に遊楽することにしました。
東の城門では、
頭が白く歯は抜け落ち、
顔は皺だらけで
腰が哀れなほど曲がり
杖をついている老人が現れました。
とシッダールタ(釈迦)は
御者に尋ねました。
シッダールタ(釈迦)は、
いつの日か自分も
あのようになるのかと
思うと心がつぶれそうになり、
そのままカピラ城へ戻ってしまいました。
しかし、
シュッドーダナ(浄飯王)は
もう一度遊楽をすすめました。
しかたなく
シッダールタ(釈迦)は、
南の城門をくぐります。
南の城門では、
蒼白な顔で
苦しみもがき
身をよじらせている
病人が自分の
排泄物の上に倒れていました。
シッダールタ(釈迦)は、
病気のおぞましさ、
あわれさを思い、
またしても遊楽の気持ちを失い、
そのままカピラ城へ戻ってしまいました。
それでも、
シュッドーダナ(浄飯王)は
もう一度遊楽をすすめたのです。
西の城門では、
泣き叫ぶ親族に追いすがれながら
運ばれていく死人を見ました。
死んだばかりの男は
虚しく青ざめて
乾いた石ころのように冷たく感じました。
御者はまたしても同じように答えます。
シッダールタ(釈迦)は思った。
人間は死すべき存在であり、
いかなる者も死からは逃れられないものだと。
北の城門では、
木の下にひとりの
修行者が座って
瞑想をしていました。
シッダールタ(釈迦)は
修行者に尋ねました。
暗く沈んでいた心に、
光明が差し込んだ。
修行者の尊い姿を
目の当たりにして、
シッダールタ(釈迦)は
道が開けたのである。
シッダールタ(釈迦)は、
宮殿に戻ると
シュッドーダナ(浄飯王)の
もとに行き、こういったのです。
シュッドーダナ(浄飯王)が
そのお願いを認めるはずがありません。
真夜中に目覚めた
シッダールタ(釈迦)は、
宮殿の女たちが
あられもなく乱れた姿で
眠っているのを見て
シッダールタ(釈迦)の心は
出家することに定まった。
白馬カンタカに乗って、
密かに宮殿を出て行きました。
29歳のときです。
当時のインドでは
"輪廻”と結びついた
”業”の思想が主流でした。
“輪廻”とは、
霊魂が一定の自己・自我の
意識を保ちながら、
別の時代、別の地域に、
くりかえし、何度も、
生まれ変わり死にゆくことです
”業”とは、たとえば、
前世で悪い(おこない)業因を
つくった結果(応報)が
来世に決定され、
来世に生まれ変わったときには、
辛い人生がまっている
という「因果応報」
(自業自得)を意味します。
ウパニシャッド哲学では、
「霊魂」を“アートマン(自我)”といって
肉体を動かしている中核としていました。
そして、
宇宙の本質である
絶対者ブラフマン(梵)
が存在していて、
アートマンはブラフマンの分霊と考えられ、
小宇宙ととらえられていました。
人が死ぬと肉体から、
アートマンが自我の意識、記憶などを
引きつれて離脱します。
この状態を「執着のある人」といい、
その欲望がつなぎとめられているところへ
”業”とともに、再びその世界から来世へと、
”業”を積むために再生(転生)されます。
一方、
「欲望をもたない人」は、
臨終の際に、”業”の原動力となる
自我の意識や記憶などが
アートマン(我)に
ついていくことなく離脱します。
そして、
絶対者ブラフマン(梵)
そのものとなって、(梵我一如)
”業”(おこない)によって
決定する生まれ変わり“輪廻”から
解脱できると考えられていました。
これは、シッダールタ(釈迦)も
同じ認識がありました。
人間には、絶対者の分霊とも
いうべき「自己」がある。
自己に付着したものは、
それが善であれ、悪であれ、
すべて業因になる。
”業”は輪廻を招くから、
欲望にとらわれて生きているかぎり、
人は輪廻から免れることはできない。
心と体にしみついた欲望を、
苦行(修行)によって消し去り
アートマンを「まのあたりに」
することだけが、
永遠の解脱に至る道だと
考えられたのです。