閔子騫(前536〜?)、 魯国の人。
言葉は少なく、
欲もなく、
役人になる気持ちも
薄かったので、
孔子は
大夫に仕えず、
汚君の禄を食まず『史記』仲尼弟子列伝
と彼を称賛した。
孔子より十五歳わかく、
孔子の弟子の中で最も優れた
孔門十哲の一人で
聖門の四科では
徳行の一人である。
閔子鶱侍側、
誾誾如也、先進11-13
おそばにいて慎しみ深く、
魯人爲長府、
閔子騫曰、
仍舊貫如之何、何必改作、
子曰、夫人不言、言必有中、先進11-14
魯の役人が、
君主の財貨の蔵である
長府を作ろうとしたとき、
閔子騫は
いいだろう。
わざわざ
作りかえることも
あるまい。
といった。
先生は、それを聞くと
ものいわずだが、
といわれた。
季氏使閔子騫爲費宰、
閔子騫曰、善爲我辭焉、
如有復我者、則吾必在汶上矣、雍也6-9
閔子騫を
費の町の宰(とりしまり)に
任用しようとし、
使者を送った。すると、
季孫氏の無道をきらった
閔子騫は言った
よろしく
お断り申しあげて下さい。
わたくしに
すすめる者があれば、
汶水のほとり
(斉の国へ亡命)に
行くことでしょう。
子曰、
孝哉、閔子騫、
人不閒於其父母昆弟之言、先進11-5
孔子曰く
他の人が、
彼の父母や兄弟のことを
悪く言うのを聞いたことがない。
閔子騫は、
親孝行の典型として
後世に伝えられています。
中国では『二十四孝』という
孝行が特に優れた人物として
上げている24人がいて
閔子騫は、
そのなかの1人です。
そして『二十四孝』に
「単衣順母」という
エピソードがあります。
その内容とは、
閔子騫は、
生まれてまもなく
母親を亡くしたが
兄弟が一人いた。
父は再婚したが、
継母(血をわけぬ母)には
連れ子が二人いた。
閔子騫は
継母の虐待に
遭っていた。
ある寒い日に
閔子騫は、
父のために車を御していたが、
震えて車を引く綱を落としてしまった。
父親が閔子騫の手を持つと、
彼の衣服が粗末で温かくないことに気がついた。
父親はすぐさま帰って、
継母とその子を呼び、
その者の手を持って見ると、
衣は厚くて暖かいものだった。
父親が継母を追い出そうとすると、
閔子騫は
私一人が寒い思いを
するだけですが、
みんなが凍えてしまいます。
と父を諌めた。
これを聞いた継母は
心を入れ替えたそうだ。
孝行とは、何も
親に服従するものでは
ありません。
親を諌めるのも
孝行なのです。
諌めるとは
目上の人に対して、
あやまちや欠点を改めるように
忠告することです。
だからといって、
直接にキツく忠告してはいけません。
親の尊厳を守るために、
さり気なく言葉やわらかく、
出来ることなら
親に気がついてもらうように
忠告するのです。
それが親を諌める
孝行なのです。
子曰、
事父母幾諫、見志不從、
又敬不違、勞而不怨、里仁 4-18
孔子曰く
父母の世話を
務めるに当たって、
もし親が
間違いを犯すのであれば、
言葉を和らげて
おだやかに
それを諌めるがいい。
しかし、
もし親が、それを
聞かなかったとしても、
それでも親を敬愛し続け、
つつしみ深くして
孝行を続けよ、
苦しいこともあるだろうが、
決して親を怨んではならない。
孔子のいう
親を敬愛することとは、
親の尊厳を守ることなのです。
家族というのは、
血の繋がりで成り立っているもの
ではありません。
母の愛(仁)
父の愛(慈)
子供の愛(孝)
そして
家族を守る
規則と調和(礼)
お互いの
尊厳を守る(敬)
があって
成り立っているのです。
これが他の動物と違う
知恵を備えた
人間だけの
家族のあり方なのです。