この絵の説明は
こう書いてあります。
1746年の
カロデンの戦いで
捕らえられた
ジャコバイトが、
家族と再会する場面を
描いていると。。。
さて
そう書かれていても
見ている私には
さっぱり解りません
そもそも
カロデンの戦いとは?
ジャコバイトって
何のことでしょう?
そこで、
この絵を見るにあたって
少し歴史を振り返ってみます
時代は1688年まで戻ります。
舞台はイングランドです。
この時の
イングランドの王は
ジェームズ2世です。
しかし
オランダ軍が
イングランドを上陸し、
ジェームズ2世の甥に当たる
オラニエ公(オランダ王家)
ウィリアム3世が
ジェームズ2世を廃位させて
自ら
イングランド王&
スコットランド王
になりました。
そして、
ジェームズ2世は
フランスへ亡命しました。
1701年、
フランスに亡命した
ジェームズ2世は死去。
その息子、
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートは
フランスの国王
ルイ14世によって
イングランドと
スコットランドの
正統な王位継承者と認められ、
イングランド王ジェームズ3世&
スコットランド王ジェームズ8世と
なりました。
厄介なことになりましたね!
イングランド王&
スコットランド王が
2人いることになったのです。
1人目は、
オラニエ公(オランダ王家)ウィリアム3世
そして、もう1人は、
ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート
本来なら
ジェームズ
の方が正統なのですが、
フランスにいるので話になりません。
そこで登場するのが
ジャコバイトです。
ジャコバイトとは、
ジェームズ2世および
その直系男子を
イングランド及び
スコットランドの
正統な国王であるとして、
その復位を支持し、
王位奪還運動をした人たちです。
ジャコバイトの語源は
ジェームズのラテン語名
(Jacobus)だそうです。
ジャコバイトは
イングランド内外で
大小さまざまな
政治的・軍事的運動を
起こしました。
1689年には、
ウィリアマイト戦争
1696年には、
ウィリアム3世暗殺未遂事件
1715年の反乱
1722年の
アタベリ陰謀事件
そして
1746年の
カロデンの戦いです。
この戦いで
ジャコバイト側は完敗しました。
そして、
捕らえられた3470人の
ジャコバイトは記録によると
処刑120人、獄死88人、
植民地への流刑936人、
「追放」22人で
その他の人たちは
記録にはありませんが
くじ引きで刑死者が
決められたそうです。
では、
1746年の
カロデンの戦いで
捕らえられた
ジャコバイトが、
家族と再会する場面
でしたね。
そして、
この絵のタイトルは
「1746年の放免令」
小さな子を抱いた妻が、
ジャコバイトである夫の
迎えに来ています。
妻の手には放免令の紙があり
看守がそれを見ています。
そこに何故か
黒い犬まで迎えに来ています。
「放免令」が
もし出たとしましょう。
それで助けられた人は、
よほど重要な人物
または金持ちでしょう。
しかし、
迎えに来た妻は
靴すら履いていません。
実は、この絵の
もともとのタイトルは
『身代金』です。
当初のスケッチでは
ミレイは、
妻がお金を手渡したところを
描いたそうです。
それなら、
靴がないのも解ります。
ところが、
絵が公開された時には
「1746年の放免令」のタイトルに
なってしまいました。
そもそも
歴史の記録だと
ジャコバイトは
ほとんど処刑されています。
つまり、
助からないのです。
それは、ある説で
ウォルター・スコット
によって書かれた小説から
ヒントを得たかもしれない
というのです。
ウォルター・スコットは
1814年に
『ウェイヴァーリー』という
小説を書きました。
その内容は
エドワードは
チャールズ王子に掛け合い、
先の決戦で捕虜となった
政府軍士官トールボット大佐の
釈放に成功する一方で、
妹のフローラをめぐり
旧友ファーガスとは決闘寸前に…。
となっています。
実際、
私は小説を読んでいないのですが
どうやら
ジャコバイトも出ているそうです。
この絵は
ロイヤル・アカデミーで
発表された時には、
たいへんな人気を呼び、
観客を絵の前で
立ち止まらせないために、
絵の前に警官が立って
誘導したほどでした。
それほどの人気が出るには
やはり小説の影響が
あったのかもしれません。
この絵で
妻のモデルをしたのは
エフィという人で、
ミレイの絵画や
ラファエル前派を理解し支持した
美術評論家
ジョン・ラスキンの妻です。
ところが、
この絵を描いた2年後
エフィはミレイと結婚するのです。
あまりにも複雑な背景を秘めた
この作品!
この絵を見ると、
意味深いものを感じますね。
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