宰我 姓は宰、名は予、字は子我
魯国の人。
孔門十哲の一人で、
言葉遣いに優れ、
聖門の四科では
言語(弁舌の才)の一人
孔子は彼を斉や楚の国に
使いに出したこともある。
楚の国の
令尹(宰相の位)の
子西は
楚の使者に子貢のような者が
おりますか。
補佐する大臣に顔回のような者が
おりますか。
将軍に子路のような者がおりますか。
仕事をする役人に宰我 のような者が
おりますか
と言わせるほど、
優れた事務能力を持っていた
『史記』によると
宰我 はのちに斉国に仕えたが、
田恒の反乱に加担し
一族全員が殺された。という説がある。
失言で君主を刺戟する
哀公問社於宰我、
宰我對曰、
夏后氏以松、殷人以柏、
周人以栗、
曰、使民戰栗也、子聞之曰、
成事不說、遂事不諫、
旣往不咎、八佾3-21
魯の国の君主である哀公が
宰我 に対して
「社」〔樹木を神体とする土地神のやしろ〕
について尋ねました。
宰我 は
周の栗は
社で行なう
死刑によって
民衆を戦慄させる
という意味でございます。
と答えました。
これは、
宰我 が
「社」の本義〔樹木を神体とする土地神のやしろ〕
からそれて、
民衆を戦慄させるなどと言ったことで、
いたずらに哀公を刺戟したことになります。
この話を聞いた孔子は、
おきた事は言うまい、
したことは諫めまい、
過去は咎めまい。でも、
これからはこんな失言を
くりかえさぬように。
孔子、宰我を見て改める
宰予晝寢、
子曰、
朽木不可雕也、糞土之牆、
不可杇也、
於予與何誅、子曰、
始吾於人也、聽其言而信其行、
今吾於人也、聽其言而觀其行、
於予與改是、公冶長5-10
宰我 が
Z~Z~Z~
ムフ、ムフ
怠けて昼寝をしていた。
孔子曰く
くさった木には彫刻できない。
ごみ土のかきねには
上塗りできない。
宰我に対しては
叱ってもしかたがない。
孔子先生は、
さらにいわれた
以前のわたしは
人に対して、
ことばを聞いて
それで行ないまでを信用した。
けど・・
今のわたしは
人に対して、
ことばを聞いて
さらに
行ないまで観察
している。
宰我 のことで改めたのだ。
愛することがわからない
宰我問、
三年之喪期已久矣、
君子三年不爲禮、禮必壞、
三年不爲樂、樂必崩、
舊穀旣沒、新穀旣升、
鑽燧改火、期可已矣、子曰、
食夫稻、衣夫錦、於女安乎、曰、安、
女安則爲之、
夫君子之居喪、
食旨不甘、聞樂不樂、居處不安、
故不爲也、今女安則爲之、宰我出、
子曰、
予之不仁也、
子生三年、然後免於父母之懷、
夫三年之喪、天下之通喪也、
予也有三年之愛於其父母乎、陽貨17-21
宰我 が質問した。
足かけ3年の喪に服す
のは長すぎます。
君子が3年も
礼を行わなければ、
礼はきっと
すたれましょう。
3年も音楽を
演じなければ、
音楽はきっと
だめになりましょう。
今年の穀物が実るように、
また、
火取りの木(木の種類が
四季によって変えている)を
こすって
火を作りかえるのと
同じように、
1年でひとめぐりを
するのですから、
まる1年でやめても
いいではありませんか。
孔子先生が言った。
親が死んでから
3年もたたないのに、
新しい穀物を食べ、
新しい上等な布を身につけても、
お前は平気なのか。
宰我 は言った。
孔子先生が言った。
お前が平気なら、
そうしなさい。
そもそも喪中の君子は、
うまいものを食べても
うまいと感じないし、
音楽を聴いても
楽しくないし、
住居にいても
落ち着かない。
だから、
普段通りの生活を
しないのだ。
今のお前が平気なら、
そうしなさい。
宰我 が退出すると、
宰我 の不仁(愛を知らない)なことよ。
子は生まれてから3年たって、
やっと父母の懐から離れる。
だから、あの3年の喪は、
それを考え合わせて定めたものだ。
そして、
世界じゅうの誰もが
行う喪なのだ。
宰我 の父親・母親は
彼を、ただ育てただけで
愛が無かった
のだろうか。
孔子の言葉を疑う?
宰我問曰、
仁者雖吿之曰井有仁者焉、
其從之也、子曰、
何爲其然也、君子可逝也、
不可陷也、可欺也、不可罔也、雍也6-26
宰我 がおたずねして言った。
井戸に人が落ちたと
言われたら、
その言葉に従って、
井戸の中に飛び込んで
救おうとしますか。
孔子先生が言った。
井戸のそばまで
行かせる事は出来ても、
井戸の中まで
落としこむことは出来ない。
君子の正しい判断力を
失わせることは出来ないのだ。
なおさら
仁の人を
騙すことなど出来ない