仲弓 (前522〜?) 魯国の人。
身分の低い家の出身だったが、
学を好み、度量が大きかった。
孔門十哲の一人で、
徳行があり、
孔子絶賛の
才徳兼備の弟子であった。
才徳兼備とは
すぐれた才知、
つまり才能と知恵があり
そのうえに
仁徳を兼ね備えている
ことをいいます。
子日、
雍也可使南面、雍也6-1
先生がいわれた、
孔子
仲弓は
立派な政治家
になれる。
立派な政治家
になれる。
子謂仲弓曰、
犂牛之子、騂且角、
雖欲勿用、山川其舍諸、雍也6-6
先生は仲弓のことを
こういわれた、
絶賛!オススメ!
まだら牛の子でも、
赤い毛なみで
さらに角が良ければ、
用いないでおこうと
思っても、
山川の神々の方で
それを見すてておこうか。
きっと
祭祀の供物に抜櫂されよう。
赤い毛なみで
さらに角が良ければ、
用いないでおこうと
思っても、
山川の神々の方で
それを見すてておこうか。
きっと
祭祀の供物に抜櫂されよう。
孔子
この
まだら牛の子というのは、
仲弓の出身が
身分の低い家であったことを
例えた言葉です。
それにもかかわりなく
人格の立派さで抜櫂されると
孔子は言って讃えました。
或曰、
雍也、仁而不佞、
子曰、
焉用佞、
禦人以口給、屢憎於人、
不知其仁也、
焉用佞也、公冶長5-5
ある人が
仲弓は、
仁だが弁が立たない!
仁だが弁が立たない!
惜しいことだ
と言った、
孔子
💢❕
先生はいわれた、
孔子
どうして
弁の立つ
必要があろう!
弁の立つ
必要があろう!
孔子
口先の機転で
人と応対しているのでは、
人から憎まれがちなものだ。
人と応対しているのでは、
人から憎まれがちなものだ。
孔子
彼が仁かどうかは
わからないが、
わからないが、
孔子
どうして
弁の立つ
必要があろう
弁の立つ
必要があろう
孔子と共に亡命の旅をしていましたが、
魯国に帰った後は
季孫氏の総管〔大番頭〕となりました。
仲弓爲季氏宰、問政、
子曰、
先有司、赦小過、擧賢才、
曰、焉知賢才而擧之、
曰、擧爾所知、
爾所不知、人其舍諸、子路13-2
仲弓が
季孫氏の宰(封地のとりしまり)になって
政治のことをおたずねした。
先生はいわれた、
孔子
役人の人事を
先きにしなさい。
先きにしなさい。
孔子
その小さい過失は
許してやり、
才能のすぐれた者を
ひきたてるように。
許してやり、
才能のすぐれた者を
ひきたてるように。
仲弓
才能の
すぐれた者を
見つけて
ひきたてるには
どうしましょう。
すぐれた者を
見つけて
ひきたてるには
どうしましょう。
孔子
お前が
見つけた者を
ひきたてなさい。
見つけた者を
ひきたてなさい。
孔子
そうしたら
お前の知らない者を
人々がすてては
おかないだろう。
お前の知らない者を
人々がすてては
おかないだろう。
孔子
きっと推薦してくる。