「諸経の王」と呼ばれる最高の経典。『法華経』それは、お釈迦様が晩年に、これまでの説法をまとめた集大成で、究極の真理とされてきた。「日本仏教の母」天台宗でも『法華経』を最高の教えとしている。日蓮宗の開祖日蓮は末法の世にこそこの『法華経』によってのみ人々は救済されるとし「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」を唱えよと...
仏教の記事一覧
授戒じゅかい、それは(戒律)「お釈迦様の教えを守って生活をします。」と誓い、授さずけてもらう名前(戒名)のこと。聖武天皇しょうむてんのうは、自みづから授戒を受け仏法によって天変地異や内乱などから国家および天皇を護まもり、社会を安定させたいと願う鎮護国家ちんごこっかを心の拠り所としていた。 しかし、今だに、正式授戒のでき...
『華厳経けごんぎょう』 それは、仏になったお釈迦様がさとったままの言葉で人々に最初に説かれたもの。 その内容は衆生(しゅじょう)にはまったく理解しがたいもので難解なお経といわれてきた。 しかし、この『華厳経けごんぎょう』を中央集権的な思想として活かした人がいた。 聖武天皇しょうむてんのうである。 それは、全国に国分寺を...
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を唱えることによって浄土(じょうど)に往生(おうじょう)できるとした浄土宗の開祖・法然(ほうねん)その弟子の親鸞(しんらん)は往生のきっかけを「信」におき、阿弥陀仏(あみだぶつ)を信心したときに、すでにその人は往生(おうじょう)し、成仏(じょうぶつ)できると説いた。 開祖 親鸞(しん...
平安末期から鎌倉時代初期まで「仏教が衰え、世の中が乱れる」という“末法(まっぽう)思想”が日本中に広まっていた。これを憂(うれ)えた法然(ほうねん)は、出家者でなくても、誰でもが”阿弥陀仏(あみだぶつ)”の誓いを信じ、それにすがることによって死後、浄土(じょうど)に生まれてさとりを開くことができるとする”易行道(いぎょ...
中国の黄檗山万福寺おうばくさんまんぷくじを日本にもたらした隠元彼の教えは、坐禅行(ざぜんぎょう)だけではなかった。往生(おうじょう)浄土や念仏などの浄土教教義真言陀羅尼(しんごんだらに)などの密教的要素などを、あわせて説いていたのだ。彼の誦経(ずきょう)は、その独特な節廻(ふしまわ)しで「黄檗の梵唄ぼんばい」として有名...
ひとりの念仏はすべての人のためにあり、すべての人の念仏はひとりのためにある。互いに融通し合って、極楽浄土がかなうこう説いた融通念仏宗の開祖良忍天台宗だった良忍は比叡山を去り凄まじい修行のはてに融通念仏を唱えた。良忍が唱える声明は芸術的で邦楽の元祖だという。 それは一体どんなものだったのか? 開祖 良忍(りょうにん)(...
道昭が中国に渡り『西遊記』で有名な玄奘三蔵げんじょうさんぞうの教えを受けて日本で開宗した法相宗ほっそうしゅう。その教えは心の深層を表す『唯識ゆいしき論』であった。現代でもベトナム人僧侶のティク・ナット・ハン師が唱えた瞑想法、マインドフルネスとして活かされいるその「唯識ゆいしき」とはインドの無着(むじゃく)と世親(せしん...
一遍が念仏を唱えながら全国各地を布教のために遊行(ゆぎょう)して歩いたところから“遊行宗(ゆぎょうしゅう)”とも呼ばれている。 開祖 浄土宗西山(せいざん)派一遍いっぺん(1239~1289) 十歳で出家法然の孫弟子・聖達(しょうたつ)の弟子となり約10年の修行をした。この期間“浄土教”を学ぶ。その後、地元の窪寺で約...
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玉武士(タマブシ)
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