古代の戦争画です。
でも、不思議です。
何故か中央に
白い服の女性が
両手を広げて
仲介に入っています。
こんなことがあるのでしょうか?
この絵のタイトルが
「サビニの女たち」です。
サビニとは
古代の部族、
サビニ人のことを言います。
イタリア半島の
ティベリス川一帯に
住んでいた部族です。
「サビニの女たち」とは
この絵の物語は
古代ローマの伝説の1つで
ティトゥス・リウィウスの
『ローマ建国史』や
プルタルコスの『対比列伝』
などで語られている
「サビニの女たちの略奪」
のことをいいます。
では、
その物語とは
どういうものなのか
見てみましょう。
伝説によれば、
古代ローマが建国された時、
その創建者である
ロームルスは
都市の人口を増やすために
「避難所」という施設を
設けました。
この「避難所」に
犯罪者やならず者、
負債者、逃亡奴隷など
次々と逃れてきたものを
受け入れました。
こうして人口は
増加しましたが
男だらけで
女性がいません。
こうなるとローマは
一代かぎりで
滅んでしまします
そこで、
彼は
近隣のサビニ人(別の部族)から
女性を誘拐し、
ローマの人口を
増やすことを計画しました。
ロームルスは
ローマで祭りを開催し、
サビニ人を招待しました。
祭りの最中に、
ローマ人たちは
サビニ人の女性たちを捕らえ、
連れ去りました。
しかし
サビニ人の王である
タティウスは
戦争の準備をするため
しばらくおとなしくしていました。
サビニ人の助けが来ず
帰国の望みを絶たれた
サビニ人女性たちは
ローマ人の
理不尽な要求を受け入れ
強制的に婚姻関係を結ばされ、
ローマ人の子を産みました。
時を得て
戦争の準備ができた
サビニ人の王
タティウスは
ローマに戦いを挑みました。
しかし、
サビニ人の女性たちは
自らの救出を求めず、
むしろ
ローマ人と
サビニ人の間で
和解が成立するよう
仲介したのです。
最終的に、
ローマとサビニ人は和解し、
両部族が一つの共同体として
共存することになりました。
画家に好まれた作品
「サビニの女たちの略奪」は
ルネサンスやバロックの時代で
好まれて描かれた作品です。
その理由としては
一画面に
多数の男女が登場し
その人物たちが、
極端なポーズで
描くことができるため
妙技が発揮できる
内容だったからです。
多くの画家が
女性略奪シーンを描いているのに、
今回紹介するこの作品は、
違っています。
戦争シーン
しかも
女性が仲介に入っているのです。
たしかに
作品のタイトルも違います。
他のは
「サビニの女たちの略奪」
ですが、この作品は
「サビニの女たち」です。
何故でしょう?
原点(元)に戻る
この絵が描かれたのが
1794~99年の5年間。
そう、1794年は、
フランス革命が終わった年なのです。
そして
描いた画家は
新古典主義絵画の巨匠
ルイ・ダヴィッド
ある罪で
投獄されてました。
ダヴィッドは
1789年から勃発した
フランス革命に
画家である立場をのりこえて
深く政治に関わっていたのです。
とくに
独裁政治に進み
片っ端から
ギロチンにかける
「恐怖政治」を行った
ロベスピエールの
プロパガンダに
自分の芸術を
全て注いできたのです。
また
反革命分子の動静を調査する任務や
大勢の人々に刑を宣告し
禁固もしました。
最終的には「尋問部」を
統括していたのです。
さらに詳しい内容は
こちらを見てね
1794年7月27日
ロベスピエールが率いる
山岳派独裁に対する
クーデターがおこりました。
「テルミドール9日のクーデタ」です。
これにより、
翌7月28日
ロベスピエールら22人は
革命広場で
ギロチンによって
処刑されました。
そして、8月に
ダヴィッドが
ロベスピエールを支持した罪で
逮捕されたのです。
ダヴィットは
国民公会の裁判にかけられたときに
ロベスピエールを非難し、
自分はだまされたと主張しました。
そして、
処刑は免れたものの
6ヶ月の刑を受けたのです。
元に戻る
この「サビニの女たち」は、
その
幽閉中の1794年から
描き始めたのです。
この絵のテーマは、
妻をたたえるために
だと言われています。
どういうことでしょう?
ダヴィッドは、
投獄されたことに
ショックを受け、戸惑っていました。
そんな彼のもとに
離婚した妻が
4人の子供たちとともに
訪れて慰めたのです。
さらに
ダヴィッドの釈放を
願い出たりして
彼を支えました。
ダヴィッドの妻は
シャルロット・ベクール
王党派だった彼女は
ダヴィッドが
国王の処刑に賛成したため、
別れることになりましたが
(他に政治的絡みが色々あったと思う)
ダヴィッドが釈放されると
あらためて結婚したのです。
ダヴィッドは、
そんな彼女に感謝して
この作品を描いたのです。
原点に戻る
5年もかかって完成させた
この「サビニの女たち」には
描くもう一つ理由があると
私は思います。
それは原点に戻ることです。
フランス革命の
1789年から1794年の5年間
ダヴィッドは
革命のプロパガンダに
自分の芸術を
全て注いで描いてきました。
それが裏切られた今
ダヴィッドは
自分の原点に戻り
革命時と同じ
5年をかけて
「サビニの女たち」を描き
新古典主義絵画を復活させたのです。
新古典主義の原点
それは
ニコラ・プッサンが確立した手法
古典主義からの応用です。
そのニコラ・プッサンも
「サビニの女たちの略奪」を
描いています。
しかも、2作品も描いていたのです。
ダヴィッドは
ニコラ・プッサンが1枚描いて
満足せず
更に、もう一枚描いた
この主題に
あえて挑戦したのです。
ダヴィッドは、
ニコラ・プッサンの確立した手法
限定された数の人物を水平線と垂直線を
強調した構図に配することによって
倫理的な意味をもつ古代史の事件と
明瞭に物語るという物語画(歴史画)の手法
を応用しましたね。
さらに
古代彫刻を思わせる
大理石の
浅浮き彫り(ローレリーフ)で
人物が何層にも重なる
表現にしました。
これぞ、まさに
新古典主義絵画の
復活ですね。
この絵を見た当時の人々は、
この絵は、
革命後のフランスを二分した
市民衝突の和解を訴えていると
考えられ。
それをダヴィッドは、
喜んでこの解釈を受け入れたと
伝えられています。
更に、皮肉にも
フランスの秩序を回復させた
ナポレオンが
この絵を見て
ダヴィッドを公式画家として
雇い入れるきっかけとなった
とも言われています。